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兄と妹に誇れる人生を生きる。
障がい者や難病当事者の笑顔をつくりたい
【難病当事者らを支援する起業家・矢澤修】

目次
  1. 兄の葬式に500人もの参列者
  2. 亡くなった兄と妹に誇れる人生を生きる
  3. 障がい・難病当事者のたくさんの笑顔をつくる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、難病当事者やその家族を支援する株式会社イースマイリーの代表取締役・矢澤修さんをご紹介。

兄と妹が先天性の難病・筋ジストロフィーという家庭で育った矢澤さん。障がいを持つ家族と共に育った環境を活かして、世の中にポジティブなインパクトを与えられる人になりたいと思い立ちます。そんな矢澤さんが福祉ビジネスでかなえたい想いとは。お話を伺いました。

1兄の葬式に500人もの参列者

私は4人きょうだいの2番目として生まれました。
兄と妹が先天性の難病・筋ジストロフィーという次第に筋肉がなくなっていく病気で、生まれたときから車いす生活でした。

障がい者を社会が受け入れる環境が整っていない時代だったので、あらぬ偏見や差別が根強かったです。
しかし、両親は兄や妹の障がいを隠そうとはせず、周りの人に助けてもらえる環境や応援してもらえる環境を積極的につくり上げていきました。
2人とも日常会話は問題なくできたので、親戚・友人・地域の人などいろいろな方々とコミュニケーションを取っていました。
2人の周りには笑顔が絶えませんでした。

兄と妹が通っていた特別支援学校にて

兄と妹が通っていた特別支援学校にて

ただ当時、障がい者の子どもがいる他の家族は、障がいについて表に出すことを控える風潮もありました。
僕は兄と妹がたくさんの人たちに慕われる姿を見ていたので、もっとオープンにしてみんなと交流すればいいのになと、漠然と思っていました。

小学4年生のとき、兄や妹の友達で難病を抱えていた僕より年下の男の子の体調が急変し、突然亡くなりました。
昨日まで一緒に遊んでいた子が亡くなった。
そのことに衝撃を受けたと同時に、障がい者がいる家族は突然、最愛の人を失う可能性があるんだと、幼いながらも理解しました。

年がたつにつれて兄の病気は進行し、入退院を繰り返すようになっていきました。
中学2年生のある日の朝、学校に行こうと玄関にいた僕に母が「(兄は)難しいかもしれない」とぼそっと言ったんです。
休んだほうがいいかもしれないと思ったのですが、不安を抱えつつ学校に行きました。

授業を受けていると、先生が教室に来て、「矢澤くん、すぐに家に帰りなさい」と言いました。
不安が的中してしまったんです。
急いで自宅に戻ると、兄はすでに帰らぬ人になっていました。
ある程度は覚悟していましたが、16年間の人生を終えた最期の瞬間に兄の側にいられなかったことを悔やみました。

兄に感謝の気持ちや最後の別れを告げようと、葬式には500人もの人が駆けつけてくれました。
こんなに多くの人に兄は慕われていたのかとビックリしました。
悲しみに暮れつつも、兄はすごい人だったんだなと改めて思いました。

高校生になって進路を考えていたある日、母親が買って家に置いていた乙武洋匡さんの『五体不満足』を読んで衝撃が走りました。
僕は障がい者がいる環境が当たり前だからこそ、障がいに違和感はなんら感じていませんでした。
しかし障がいを武器に、こんなにポジティブに生きている乙武さんはなんてすごいんだろうと思ったんです。

世の中にはこんな人がいるんだな、と思うと同時に、障がいのある家族がいる自分だからこそ、できることもあるのではと考えるきっかけをもらいました。

僕は、この本を読んで福祉を学べる大学に行こうと決意しました。
障がいを持つ家族と共に育った経験を活かして、乙武さんのように世の中にポジティブなインパクトを与えられる人になりたいと思ったんです。

2亡くなった兄と妹に誇れる人生を生きる

大学3年生の夏、大学のサークルの合宿で千葉にいたとき、母親から連絡があり、すぐに帰宅するよう言われました。
妹が食べ物を喉に詰まらせ危ない状態になってしまったんです。
懸命の治療もむなしく、妹は17歳で亡くなりました。

妹の葬式には、兄の葬式を超える700人もの方が駆けつけてくれました。
葬式の光景を見たときに、僕が死んでも葬式にこれだけの人は来ないなと思いました。
みんなに愛されて、支えられて、素敵な人たちに囲まれて亡くなった兄と妹は、障がいがあるとか関係なく、人を惹きつける力を持っている。
僕はそんな兄と妹に対し、誇れる人生を生きなければと強く思いました。

大学で福祉の勉強をする中で、新しいビジネスをつくって福祉の世界に貢献したい気持ちが出てきました。
僕がいた福祉系の専攻は、卒業後、社会福祉士の資格を取得して、施設などに就職する人が多かったのですが、新しいビジネスをつくったほうが世の中によりポジティブなインパクトを与えられると思ったんです。

大学卒業後は大手IT企業に就職しました。
福祉のビジネスでの起業を考える中で、成長産業の仕事を経験したほうが、ビジネスや起業に役立つスキルが得られるし、視野が広がると思ったからです。
ITの経験を福祉に活かして、インターネットと福祉を掛けあわせて新たなイノベーションを起こそうと考えました。

入社してからは、法人営業の部署に配属され、与えられた仕事を一生懸命こなしました。
ただ、すでに存在する仕事をしっかりこなすことが求められていて、自分で主体的に仕事をつくることはできませんでした。
起業するスキルを身につけるには、もっと自分から新しい仕事を提案できる環境にいたほうがいいと思っていたので、転職を考えるようになりました。

そんな中、あるITベンチャー企業の役員の方とお酒を飲む機会があり、仕事の悩みや新しいビジネスを作りたい想いを語ったところ、「よかったらうちの会社においで。事業を自分でつくれる環境があるから」と声をかけてくれました。
そこで、2年半勤めた大手IT企業を辞め、この会社に転職しました。

転職してから7年ほどで5つの事業を立ち上げ、新しいビジネスをつくるのが大好きになっていきました。
社会人になって10年ほどたっていて、実績と自信もついてきたので、そろそろ自分がやりたかったことにチャレンジしようと思い始めました。
10年という区切りは、起業するにもいいタイミングだと思ったんです。

3障がい・難病当事者のたくさんの笑顔をつくる

現在は、障がいや難病当事者やその家族を対象にしたコミュニティづくりの他、難病当事者の発信力を強化するプロデュース事業、子育て支援事業にも力を入れています。

当事者やその家族を対象にしたコミュニティづくりとしては、オンライン講演会に取り組んでいます。
難病当事者の中には外出が難しく、当事者の仲間を見つけられない人もいます。
こうした課題を解決するため、難病当事者が日々の生活で感じている課題を話す場をオンライン上に設けたんです。
参加いただく当事者・ご家族から参加費をいただき、お話しいただく難病当事者・ご家族に報酬をお支払いするという仕組みで、たとえ寝たきりで生活している当事者の方でも、パソコンやスマートフォンがあれば「自身の体験を語る」仕事ができるようになる、という目論見もありました。

障がい・難病当事者と家族のためのオンラインコミュニティ「おうち勉共会」

障がい・難病当事者と家族のためのオンラインコミュニティ「おうち勉共会」

当事者の発信力を強化するプロデュース事業としては、難病当事者のYouTubeチャンネルのサポートをしています。
兄や妹が生きていた頃は、難病当事者が表に出ることに対する差別や偏見を感じることもありましたが、時代が進んでそうした風潮もなくなってきたと思います。

障がいや難病の当事者がどんなことを考え、どんな生活をしているのか、もっと世間に浸透すれば、障がいや難病への理解も進んでいくと思っています。
発信を強化したい難病当事者やその家族に伴走し、最終的にみんなが自走できるようにサポートしていきたいです。

今後も、たくさんの福祉ビジネスを作っていきたいです。
福祉業界はビジネスとして成立させるのが難しい分野です。
でも、それが可能だと知ってもらえれば、福祉業界でビジネスをしたいと考える優秀な人材も集まってくると思います。

イースマイリーは「みんなと笑顔をつくる会社」を目指しています。
兄と妹の周りの人はいつも笑顔でした。
僕はイースマイリーを通してたくさんの難病当事者や家族の笑顔を作り出していきたいです。
たくさんの笑顔を作り出して、兄や妹のように、多くの人に「あなたと出会えてよかった」と言ってもらえる人生を送りたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年11月)のものです

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