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好きも強みもなかったグラドルの私。
思い出を紐解き、天職に出会う
【介護福祉士/タレント・村上友梨】

目次
  1. 私の強みってなんだろう?
  2. 介護は私の天職だった!
  3. 私なりの言葉で介護のイメージを変えていきたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、介護福祉士・タレントの村上友梨さんをご紹介。

高校2年でグラビアアイドルとしてデビューし、順調な芸能活動を送っていた村上さん。しかし、齢を重ねるにつれて将来に不安を覚えるようになります。自分の興味・関心がある分野を探すなかで、介護にたどり着き、今では天職だと言い切る村上さん。自分が本当にやりたいことに、どうやって出会ったのか。お話を伺いました。

1私の強みってなんだろう?

中学2年生のときに地元の広島県福山市でスカウトされました。
それまで将来何をしたいかなんて考えたこともなく、芸能界にもまったく興味がありませんでした。
でも、これも何かの縁だと思い、導かれるままに芸能界に入り、高校2年生でグラビアアイドルとしてデビューしました。

グラビア活動をしながら、私でいいのかなと思っていました。
私が雑誌などで見ていたグラビアのお姉さんたちは、みんな私よりずっとセクシーだったからです。
私の良さってなんだろうなと思いながら撮影に臨んでいましたね。

それでもグラビアの仕事が増えていきました。
世間への露出が増えるにつれてファンの方も増えていき、「かわいいね」「表情が豊かだね」というコメントを目にするたびに、少しずつグラビア活動への自信がついていきました。

20歳を過ぎてからグラビアアイドルとしての方向性に悩み始めました。
グラビアアイドルはたくさんいて、若くてかわいい子もどんどんデビューしています。
もっと自分だけの新しい方向性を見つけていかないと、生き残っていけないなと思ったんです。

新しい方向性を探すなかで、そういえば今まで私は何かに熱中したことがないなと思いました。

取材で「村上さんの強みってなんですか?」「ハマっている趣味はありますか?」と聞かれても、うまく答えられないんです。
「私って人より突出しているものがないのかな」と思うようになりました。

それからは、趣味や特技を見つけるために、いろいろなことにチャレンジしました。
けん玉、社会人野球の研究など。
どれも好きなんですが、特技というにはほど遠く。
自分はいったい何が強みなんだろう、と頭の中がごちゃごちゃになって、考えるのもつらくなっていきました。
グラビア活動は順調でしたが、不安は拭えませんでしたね。

こうした迷走期間が1年半ほど続いた頃、ふと2つの出来事を思い出しました。
一つは小学5年生のとき、介護施設に1週間ほど職業体験に行ったことです。
施設で交流したおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔を見たとき、とても癒やされたんです。

もう一つは、19歳のときに認知症を患っていた祖母が亡くなったことです。
祖母はデイサービスのお風呂介助を受けていた際、転んで足を骨折して寝たきりになって、その数ヶ月後に亡くなりました。
祖母が亡くなったとき、「どんな介護をするのがベストだったんだろう」とモヤモヤしていたんです。

2つの出来事を思い出したとき、「私、介護に興味があるんだ」と自分の中ですごく納得感がありました。

同時期に介護従事者と知り合う機会がありました。
私はすぐに施設で働かせてほしいと志願し、面接を受けてグループホームでアルバイトとして働くことになりました。

2介護は私の天職だった!

グループホームに入って半年くらいは、介助をさせてもらえませんでした。
資格もないし、責任も持てないから、命を預かる仕事は任せてもらえないんです。
当然だと思いましたね。
でも、食事を作ったり、掃除をしたりしながらおじいちゃん、おばあちゃんと話をして、笑顔を見るたびに癒されました。
職業体験のときと同じ感情が湧き起こりましたね。

介護の資格取得に向けた勉強も始めました。
資格がなくても働けるのですが、施設で働く人や利用者の家族の気持ちを考えると資格があったほうがいいなと思ったんです。
また、芸能人が趣味や特技を身につけるため、軽い気持ちでバイトをしていると施設で働く人から思われるのが嫌だったのもあります。

最初に「介護職員初任者研修」を取得し、その後450時間の講習を受けて「実務者研修」も取得しました。
介護施設のアルバイトを始めた当初は熱意だけで働いていましたが、講習を通じて介護の技術を身につけたことで、少しずつ施設のスタッフとしての責任も感じるようになっていきました。
私はますます施設で働くのが楽しくなっていきましたね。

次の目標は国家資格である介護福祉士に定めました。
でも、介護福祉士の試験はものすごく勉強しないといけませんし、試験は年に一度だけです。
私は勉強が本当に苦手で、一生懸命勉強して臨んだ普通免許の筆記試験に2回落ちたほどです。

勉強は一日8時間にも及びました。
苦手な勉強で、心臓が痛くなりながら必死で机にかじりつきました。
地元の友達にお願いして、勉強を見てもらったこともありました。
努力の甲斐あって、2019年に介護福祉士試験に合格しました。心の底からうれしかったですね。

資格を取ってしばらくすると、知らないおじいちゃんが道端で倒れているのを見つけました。
意識があるのですが、杖を手放していて起き上がれない状態。
慌てて駆け寄り、様子を見ながら負担をかけないよう、勉強した通りの手順でゆっくり起こしました。
幸いにもおじいちゃんはなんともない様子で、私にお礼を言って歩いて行きました。

おじいちゃんから感謝してもらえたことに感動し「私、このために介護福祉士になったんだ。社会にいる意味がちゃんとあるんだな」と思いました。
介護の仕事はおじいちゃん、おばあちゃん一人ひとりに接することができ、直接感謝もしてもらえる。
なんて素晴らしい仕事なんだと改めて感じましたね。

3私なりの言葉で介護のイメージを変えていきたい

今はグループホームにて多いときは週5日で働いています。
仕事は日々発見の連続です。
つらいこともありますが、よく食べてよく寝れば、翌日もおじいちゃんやおばあちゃんと話ができて、幸せを感じられます。
施設で笑わない日はありませんね。

おじいちゃん、おばあちゃんと話を重ねていくと、その人の人生が見えてきます。
学校の先生で子どもが大好きな人、大恋愛の末に結婚した人。
いろいろな人の人生に触れられるのは介護の魅力の一つですね。

介護の仕事を辞めたいと思ったことは一度もありません。
天職だと思っています。
グラビアも楽しかったけど、永遠にはできないと思っていました。
でも、介護は体が動く限りはずっと続けられます。
ずっと続けられるものが見つかって今は充実しています。
今のマネージャーからは「グラビアをやっていたときより顔が優しくなったね」と言われています。
人生でやりたいことが見つかって、ホッとして安心したんだと思います。

今後は、介護福祉士兼タレントとして介護のイメージを変えていきたいです。
介護業界は4K(きつい・汚い・危険・給料が安い)だというイメージから、働くことを敬遠している人も多いと思うんです。

実際、介護現場は人員不足で、優秀な人材が辞めていくこともあります。
でも、やってみたら本当に楽しい仕事なんです。
もっと多くの人に介護現場に来てもらえるよう、これからも私の言葉で介護の楽しさややりがいを発信していきます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年11月)のものです

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