1記者としての挫折、父の病気を機に家業へ
大学卒業後、新聞社に就職し、滋賀の支局に配属されました。
記者を目指したのは、社会で起きているリアルな出来事を世の中に伝えることで、社会をよくする一助になりたいと思ったからでした。
配属されてすぐ、現場の厳しさに触れ、自分がいかに甘かったのか思い知りました。
会社から求められるスピーディーな業務対応や粘り強い取材ができず、自分の理想を実現する手前でへこたれてしまいました。
求められる水準に到達しないことに焦り、その焦りがまた次のミスを生む、ということが重なり、どんどん自信を失っていきました。
新聞記者になって3年がたった頃、次のフィールドを探そうと決め、そのことを母に伝えました。
それから数週間後、両親から食事に誘われ、その場で母から、父の体力が病気で弱っていることを聞かされました。
さらに、母は続けて、父の会社をサポートして欲しいと頼んできました。
継いでほしいという話ではなく、あくまでも一社員として、家業の行く先を見守ってほしいといった話でした。
両親は、親が子どもに家業を押し付けてはいけないと考えていて、自分で自分の可能性を探求できるようにと、私が興味を持っていることになんでもチャレンジできる環境を整えてくれました。
私が大学でマスコミ学を専攻し新聞記者になったときも何も言いませんでしたね。
そんな両親から、つなぎとはいえ「会社を手伝ってほしい」と言われ、心が動きました。
自分が必要とされている場所で自分の役割や価値を考えてみるのもいいのではと思ったんです。
また、広い視野で捉え直すと、新聞記者を通じて叶えたかったことは、父の会社でも実現できるとも思ったんです。
具体的なやりがいは、会社に入って、働きながら見つければいい。
そう思ったとき、一気にぐわーっと考え方が変わり、どうせやるなら会社を継ぐ前提で働こうと決心しました。
私は新聞社を辞め、父の下で働き始めました。
転職と同時にかねてよりお付き合いをしていたパートナーと結婚しました。
もともと子どもについては、「授かりものなので、いつかできればいいか」くらいに捉えていましたが、彼も会社を手伝ってくれるようになると、お互い忙しくなり、なんとなく妊活は後回しになっていきましたね。
2「私らしい暮らし」実現のため組織改革
私が家業に入ってから1年ほどして父に重い病気が見つかりました。
本来なら10年ほどかけて父の下で経営の勉強をしようと思っていたのですが、一日でも早く父に楽をしてもらうために、これまで以上に経営の勉強を頑張りましたね。
父の会社は、価格競争に陥っていました。
他社が進出してくるのですが、商品の差別化が難しかったんです。
また、利幅が小さい生産受託が増え、利益が圧迫されるようにもなっていました。
生産効率を極限まで追い求めながら働くメンバー(従業員)たちの表情はつらそうにも見えました。
早く価格競争から抜け出すには、メンバーの持っているスキルや価値を活かし、他社と差別化した商品が必要だと思いました。
父から少しずつ経営権を譲り受けてからは、他社との差別化のため、あらゆる施策を打ちました。
突っ張り棒や収納用品を使っているユーザーと交流するため、整理収納アドバイザーの資格も取りました。
メンバーとの議論も重ねました。
新しい取り組みを始めることで、既存のビジネスに影響が出るのではと不安に感じる人もいましたが、話し合いを重ねるなかで納得してもらい、少しずつ会社の改革に取り組んでいきました。
午前6時に出社し、夜遅くまで会社で働き、食事も帰り道で外食する日々でした。
とにかく必死でしたね。
不安や心配を抱えながらも「そこまで言うならやってみよう」と、ついてきてくれたメンバーたちを安心させるためにも結果を出したいと思っていましたし、未熟な私に権限を与えてくれた父に報いたいという気持ちも強かったです。
2015年には代表取締役社長に就任。
社内ブランドを立ち上げたり、私自身が「つっぱり棒博士」と名乗って商品の正しい使い方を発信したりするなど普及活動を進めていきました。
こうした努力が実を結んだのか、業績も徐々に上がっていきました。
2016年、グッドデザイン賞を受賞されたときのお写真
ようやく会社の事業規模が安定してきた頃、改めて、会社が掲げる「アイディアと技術で『私らしい暮らし』を世界へ」という理念をどうすれば叶えられるのか考えました。
しかし、毎日忙しく、頭の中は業務のことでいっぱい。
そんな中で考えても、ワクワクするようなアイディアは浮かんできません。
会社を見渡してみても、同じように日々の業務に追われているメンバーたちの姿。
これは変えなければと感じましたね。
そもそも理念の実現に取り組む私たちが「私らしい暮らし」を実現できていないと、より良いアイディアを生み出していけないのではと思ったんです。
そこで、私自身も含めメンバー全員が「私らしい暮らし」を探求できるよう、組織文化の醸成、制度設計、それを支えるツールの導入などの検討を始めました。
例えば、自身の誕生日に特別休暇を取得できる「誕生日休暇制度」、自社製品を特別価格で購入できる「社割制度」、自分の可能性を社外でも探求できる「副業制度」など。
私自身も「私らしい暮らし」に近づくため、何が幸せか夫婦で話し合いましたね。
その結果、出てきたのは、子どもを生み、一緒に家族になることでした。
授かりものなので、どうなるのかはわかりませんが、やれることはやってみようと、妊活を始め、それを社内に宣言しました。
病院へ通ったり、薬の影響で体調が優れなかったりしましたが、メンバーたちにサポートしてもらえ、本当にありがたかったですね。
他にも、自分たちの家を「つっぱり棒ハウス」としてメディアに公開したり、メンバーを食事に招いたりして、「私らしい暮らし」が何かを積極的に発信し始めました。
3社会への価値提供のため、活気ある職場づくりを
メンバーのサポートのおかげで、ありがたいことに子どもを授かることができ、2020年春に出産をしました。
現在は育児と仕事の両方に取り組んでいて、夫やメンバーの協力を得ながら、育休をとったり、在宅勤務をしたりしています。
これからも、夫婦で抱え込まず、会社にサポートをしてもらいながらやっていければと思っています。
今後も、会社が掲げる理念の実現を目指していろいろなことに取り組んでいきたいです。
その一環として、引き続き、会社の目指す方向と個人のありたい姿が重なる状態を目指していければと思います。
また、これまではメンバーの強みを活かすために私が主導してブランド作りを行ってきました。
これからはメンバーたちが商品作りを主導し、私がそれをサポートする形を作っていければと考えています。
会社の行動指針である「ヘイアンバリュー」に「自由闊達でいこう」という一文があります。
私は個性を表現したり、やりたいことに挑戦することに前向きな環境で育ちました。
また社長という立場上、遠慮せず、自分を出すことができています。
一方で組織の中で働く人は、自分のやりたいことを我慢したり、自分を表現することに消極的になりがちです。
私は、才能の掛け算こそ組織を活気づける重要な要素だと思っています。
一人一人の違いや個性を伸ばすことで、才能あふれる活気のある職場を作り、そのことを通じて、お客さまの「私らしい暮らし」の実現を支えていきたいです。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年10月)のものです