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好きなものに没頭しすぎて高校を退学。
それでも諦めず、ゲームを仕事に
【プロゲーマー/レッドブル・アスリート・ボンちゃん】

目次
  1. 好きなことを追求して暮らしたい
  2. プロゲーマーに人生を懸けた姿勢に共鳴
  3. ゲーム業界の認知を広めていきたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、プロゲーマーのボンちゃんをご紹介。

ゲームと麻雀にハマり18歳から雀荘で働き始めたボンちゃん。趣味で続けていたゲームにも没頭、多くの格闘ゲームの大会に出て結果を残したものの、大事な大会で1回戦負けし、燃え尽きてしまいます。そんなボンちゃんがゲームへの情熱を取り戻し、プロゲーマーを目指すきっかけとなった出来事とは。お話を伺いました。

1好きなことを追求して暮らしたい

小学生でゲームセンターの格闘ゲームにハマり、高校生では麻雀にハマりました。
プレイすればするほど上達するのが快感で、勉強そっちのけでのめり込んでいきましたね。
その結果、高校の単位が足りず、退学処分に。
やっちまったと思いました。
両親にも泣かれ、本当に申しわけないと思いましたね。

18歳になって池袋の雀荘で働き始め、この頃から、プロ雀士になりたいと思っていました。
プロになれば周りに自分を認めてもらえると思っていたからです。

しかし、プロ雀士になるためのシステムに「あれっ?」と疑問を感じるようになりました。
当時は麻雀の知識などを身につけ業界団体の試験に合格すれば、プロ雀士の資格がもらえる仕組みだったんです。

雀荘の常連さんの中にプロもいたのですが、実力的には当時の僕と変わらないレベルの印象でした。
実力を認めてもらうためにプロになりたいと思っていただけに、この仕組みでプロになっても意味がないと感じました。
僕はプロ雀士になるのはやめて、雀荘の店員として麻雀を極めることに。

麻雀を極めるには、自分の苦手を克服しなければと、池袋の雀荘で2年ほど働いた後、いろいろな雀荘を転々としました。
好きなことをずっとやっていくなら、その分野で分からないことがあってはいけないと思っていましたね。
多くのお客さんと麻雀を打つことで、あらゆる角度から麻雀を研究していきました。

ゲームも趣味でずっと続けていました。
勤務していた雀荘にゲームに没頭している同僚が2人いて、彼らと一緒にゲームセンターで遊んでいたんです。
同僚の1人に「格闘ゲーム界の神」と呼ばれる「ウメハラさん」という人がいました。

ある日、彼らと一緒にゲームセンターへ行き、ウメハラさんのプレイを見たとき、世の中にこんなに格闘ゲームがうまい人がいるのかと衝撃を受けました。
自分の技術にある程度自信を持っていましたが、僕とは比べものにならないほど上手だったのです。
ウメハラさんたちとゲームをするようになって、さらに格闘ゲームにのめり込み、徐々に腕を上げていきました。

雀荘で働き、仕事終わりにゲームセンターで格闘ゲームに没頭する日々が続きました。
多くの格闘ゲーム大会に出場し、上位の成績を残すほどの腕を身につけていました。
優勝したいという欲はそこまでなく、単に自分の腕試し的なノリで大会に参加していましたね。

ある日、夢中になっていた格闘ゲームの大会が開かれることになりました。
大会はチームで行い、僕はウメハラさんと組むことに。
ウメハラさんと一緒なら目標は優勝しかないと思い、これまで以上に練習を重ねました。

しかし、結果は1回戦負け。
今まで1回戦で負けたことがなく、本当にショックでしたね。
一気にゲームに対する熱がなくなり、燃え尽き症候群のようになってしまいました。

2プロゲーマーに人生を懸けた姿勢に共鳴

そんな生活をしていた23歳頃、世間ではゲームをプレイすることで生計を立てるプロゲーマーが誕生していました。

この頃、知り合いのプロゲーマーの練習相手として週2回ほど彼の練習場に呼ばれるようになりました。
彼の一日の生活を見て衝撃を受けましたね。
朝起きて体をほぐした後、2時間サイクルでいろいろな格闘ゲームの練習をし、合計で一日12時間ゲームをする。
これを毎日繰り返していたんです。
まるでアスリートのような生活で、完全にゲームに取り憑かれているなと思いました。

海外のプロゲーマーがゲーム一本で生計を立てているのは知っていましたが、プロゲーマーがどんな生活をしているのかは知りませんでした。
僕は彼に尊敬の念を覚えました。
僕もそれなりにゲームの練習をしているけど、仕事終わりにゲームセンターに行くレベルです。
でも、彼はうまくなるために明確な目標を持って一日中練習していたんです。
しかも、多くの大会に出てちゃんと実績も残している。

間近でプロの姿勢を見て、資格を持っていればプロになれるのではなく、圧倒的な努力をしているからこそプロになれるんだと思いました。
ゲームに打ち込み、胸を張ってプロゲーマーを名乗っている彼をうらやましくも思いましたね。

僕は格闘ゲーム専門で彼の練習相手になっていましたが、決して腕が劣っているとは思いませんでした。
格闘ゲームに絞ってもっと練習すれば僕もプロとして胸を張れるようになれるかもしれないと思いましたね。

そこで、プロゲーマーになる最初の一歩としてダイエットに取り組み、105キロから30キロ絞りました。プロになるには人から目指される存在にならねばならず、そのためには見た目を改善しないとと思ったんです。
まったくと言っていいほど興味がなかったファッションにも気を使うようになり、パーソナルスタイリストと一緒に服を買いに行ったこともありました。

雀荘の店員として仕事をしながら空いた時間で猛練習を重ね、ゲームの大会に参加して好成績を出していきました。
順調な時期もありましたが、結果が出ないこともありました。
ゲームを仕事にするということは、常に結果を出し続けなければいけません。
練習をしていて苦しいときもありましたが、そんなときこそ、練習を楽しめるように工夫するのがプロだと思い、モチベーションを高めていました。

その後、確実に実力をつけ、いくつかの大会で優勝することができました。
それに伴い、多くのプロ契約オファーが舞い込みました。
でも、自分を安売りせず、雀荘でのアルバイトなどゲーム以外の仕事も続けながら適正な価格の契約オファーを待ち続けました。
僕にとってのプロゲーマーの定義は、スポンサー契約や大会の賞金で生活をしている人だったんです。

また、僕が適正な価格でスポンサー契約をすることで、これからプロゲーマーを目指す後輩たちのロールモデルにもなれると思っていました。

焦らず待ち続けた結果、2015年、フランスで行われたエナジードリンクブランド・レッドブル主催の大会で優勝し、そのままレッドブルとプロスポンサー契約を結ぶことができました。
ようやくスタートラインに立った感じでしたね。
その後も、デバイスメーカーなどとも契約を結べて、2019年には世界最大の格闘ゲーム大会「Evolution Championship Series」(米国・ラスベガス)で優勝できました。
本当にうれしかったです。

3ゲーム業界の認知を広めていきたい

今でこそプロゲーマーとして活動させていただいていますが、人生を振り返ると、麻雀、ゲームと好き勝手しているだけだったと思います。

仕事や生活のためにゲームをプレイしていて、つまらないと感じる時期もありました。
それでも、人生の中で麻雀とゲームに出会えて本当に良かったと思っています。
この2つが好きで、のめり込んだからこそ今の自分があります。

今後はSNSをはじめとしてメディア発信を行い、ゲーム業界の認知向上にも貢献したいと思っています。
かつて「ゲームは悪」というイメージがつきまとっていました。
しかし近年、子どもたちの「なりたい職業ランキング」にプロゲーマーがランクインするなど、イメージは変わってきています。

また、僕がプロになったとき、プロゲーマーという言葉は、世間でほぼ知られていませんでしたが、今はeスポーツという言葉と共にかなり認知が進んでいます。
業界にとって追い風が吹いている時期だと言えるでしょう。
ゲームに対する認知が広がりつつある今だからこそ、プロゲーマーたちは世間に対して発信力を強化することが大切だと思います。
ゲームのイメージを少しでもよくするため、僕もプロゲーマーとしての誇りを持って発信し、行動していきたいです。

2019年には結婚して双子のパパになりました。
子どもたちにプロゲーマーという仕事がカッコいいと思ってもらえるように頑張ります。
プロゲーマーになりたいと言った子どもに対し、「寝ぼけたこと言うな」と言う親もいると思います。
しかし僕は、プロゲーマーになりたいと言った子どもに対して親が「頑張りなよ」と応援してくれる社会を目指していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年10月)のものです

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