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部下に嫌われてもかまわない!
独自のスタイルでナンバーワン雑誌の編集長に
【複数の雑誌をとりまとめる局長/「オトナミューズ」編集長・渡辺佳代子】

目次
  1. トイレで気づいた「物事は自分で決めていい」
  2. 嫌われてもかまわない…29歳で編集長に
  3. 雑誌以外にも世界観を広げていきたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、宝島社の雑誌「オトナミューズ」の編集長・渡辺佳代子さんをご紹介。

29歳のときに雑誌「sweet(スウィート)」の編集長に就任した渡辺さん。同世代の編集部員たちとうまくやっていこうと奮闘しますが、いつしか「優柔不断な編集長」と呼ばれてしまいます。そんな渡辺さんが「仕事仲間に嫌われてもかまわない」と思うに至ったワケとは。お話を伺いました。

1トイレで気づいた「物事は自分で決めていい」

小さいときから親や先生に言われたことを守る子で、 両親からは「手がかからない子」と言われて育ちました。
一つ下の弟が生まれてからは、お姉ちゃんらしくしないといけないと、とても意識していましたね。

小学生になると、父親の仕事の都合で転校を繰り返しました。
転校するたび、新しい学校で友達とうまくやっていくために、人の顔色を読んでばかりいましたね。
嫌われたらどうしようと、いつも不安を抱えていました。

反抗期もまったくありませんでした。
大人の言うことを守っていれば「良い子」だと言ってもらえたので、言われたことをそのまま受け入れ、自分の頭で物事を考えないまま大きくなりました。

小学校、中学校はバスケットボール部に入っていましたが、高校では帰宅部でした。
高校でもバスケットボールを続けようと思っていたのですが、なんだか急に面倒になってしまって。
夏休みに入ると、部活も勉強もアルバイトもせず暇を持て余しました。
暑い日が続いて、ぼんやりと過ごしていたある日の昼間、自宅のトイレで座ったとき、なんの前触れもなく突然気づいてしまったんです。

「あ、物事って自分で決めていいんだ」

それまで私は物事の判断を他人に委ねて生きてきたので、この発見が新鮮でした。
なんでそんな当たり前のことに今まで気づかなかったんだろう、と。
そこからは、生きるのがとっても楽になりましたね。

行動も変わりました。
それまできちんと提出していた夏休みの課題もいきなりやらなくなってしまいました。
「課題を出さないとどうなるのか」を考えてみた結果、せいぜい教師に怒られて2学期の成績からある程度点数が引かれるくらい。
大学の推薦を狙っていたわけでもないので、じゃあいいかと。
それよりも大好きな映画をたくさん観るほうが自分にとっては有意義だと思って。
結局その年の夏休みはひたすら好きなことだけをしていましたね。
それまでの私では考えられない過ごし方です。

「起こりうるプラスとマイナスの出来事を比較して、プラスだと思える選択をすればいい」という考え方が身につきました。

自分で物事を考えて判断することで、人の目も気にならなくなりました。
そもそも人の考えていることなんてわからないですし、わからないのに顔色をうかがってばかりいたらつらいだけ。
私のいないところで陰口を言われたとしても、表面上は不愉快にならないお付き合いをしてくれるだけで十分。
その声が自分に届かないならそれでいい、と割り切れるようになりました。

大学卒業後はいくつかの出版社を経て宝島社に就職。
雑誌「CUTiE(キューティ)」の編集部に入りました。
中学生の頃からファッションやカルチャーの雑誌を読むのが好きで、中でもCUTiEが大好きでした。
CUTiEの編集部で働くのが夢だったので、とてもうれしかったですね。

2嫌われてもかまわない…29歳で編集長に

CUTiE編集部に入って数年が経った頃、上司に会社の応接室に呼び出されました。
応接室に呼ばれるときは基本何か叱られるとき。
「また何かやらかしたかな…」と考えながら席につきました。

上司は「雑誌sweetの編集長になってほしい」と言いました。
ストリートファッションが全盛期の当時、宝島社ではCUTiEやSPRiNG、smartと元気な雑誌をいくつも発行していました。
その一方で、王道の働く女性に向けたファッション誌がなく、sweetをその方向にリニューアルしてくれというのです。

最初は意味がわかりませんでした。
29歳の若手編集者で役職もない私が、なぜいきなり編集長に選ばれたのか。
CUTiEで働きたくて宝島社に入って、もっと現場で働きたいのに…。
もう、その場から逃げ出したい気持ちでしたね。

突然編集長になってしまって「こういう雑誌を作りたい」というビジョンがまったくなかったので、とりあえず編集部員たちの意見を聞く場を設けました。
編集部員のほとんどが私と同世代。
みんなの意見をいろいろと吸い上げた上でそれをうまくまとめて1冊にすることがベストだと考えてしまったんです。

でも、それが良くありませんでした。
話し合いを重ねるほど編集部の雰囲気は悪くなっていきました。
全員の意見を聞いたとしても、最後は「編集長がどうしたいか」をはっきりさせる必要がある。
でも、私はそれに気づけませんでした。
結果、優柔不断で八方美人な編集長だと、嫌われてしまいました。

半年ほどたった頃、ある企画を振った編集部員に「私はその企画をやりたくありません」と言われたんです。
頭にきましたね。
でもそれがきっかけで「これだけ気を使っても雑誌作りも部内の人間関係もうまくいかないなら、全部自分の好きなようにしよう!」と開き直り、仕事の仕方が180度変わりました。

「上司が言うから」「みんなが言うから」ではなく「私がどういう雑誌にしたいか」を基準にして動くようになりましたね。
会議もやめました。
雑誌の方向性をきちんと示せない編集長には、誰もついて来ないと気づいたからです。
やり方を変えたことで、うまくいってもいかなくても全て自分の責任になりました。
でも、それでいいやと思えるようになったんです。

編集長に就任してからしばらくは売上も伸び悩んでいたので、どうしたら読者に雑誌を手に取ってもらえるか、あれこれ試行錯誤しました。
とにかく他の雑誌がしていないことをしなくてはと、2002年からファッション誌に付録をつけることを試してみました。
結果、劇的に売上が伸び、新規読者層の獲得に成功。
以降、付録はsweetのキラーコンテンツになりました。

2014年には、30代後半~40代の女性にファッションやライフスタイルを提案する「オトナミューズ」を創刊。
sweetとオトナミューズ、2つの雑誌編集長を兼務することになりました。

3雑誌以外にも世界観を広げていきたい

2020年9月1日、私は20年以上務めたsweetの編集長の職を離れ、現在はオトナミューズ編集長と複数の雑誌を取りまとめる局長のポジションを務めています。
2つの雑誌を兼務した6年間で、やりたいことはやりきったと思っていました。
でも、1誌になるんだと思ったら余裕が生まれたのか、新しいアイディアがたくさん生まれてきました。
これ以上、やりたいことなんて浮かばないと思っていたので、余裕を持つことはやっぱり大事だなと思いますね。

雑誌が好きなので、雑誌を作り続けたい気持ちは強いです。
私にとって雑誌とは「信頼できる友人」。
インターネットを開けばたくさんの情報を得られますが、取捨選択が難しいと思うんです。
でも、ファッション好きの友達がすすめる服や映画好きの友人がすすめる映画は、信頼できますよね。
私にとっては雑誌もそんな存在なんです。

最近はモデルやタレントさんが、YouTubeやInstagramを使い、個人で発信する時代になりました。
ファッションやコスメなど、自分のオススメを紹介してファンを増やす人も多くなっています。
それも悪くないと思いますが、私は多くのプロの編集者が目利きをして情報をまとめた雑誌という媒体に価値を感じています。

渡辺さんが手がけたsweetとオトナミューズ

渡辺さんが手がけたsweetとオトナミューズ

一緒に仕事をしているモデルさんが、「雑誌に呼ばれることに価値を感じている」と話してくれたことがありました。
そんなふうに思ってもらえる媒体はこれからも絶対に残していきたいんです。
SNSやウェブメディアも台頭していますが、まだまだ紙の雑誌を好きな人はたくさんいます。
私もその一人。
紙をめくり、その世界観に没頭する。
そんな紙ならではの魅力を大切にしていきたいです。

今後は、オトナミューズが持つ世界観を雑誌以外にも展開したいですね。
紙の代わりにウェブメディアを展開するという単純なことではなく、読者がどうすればオトナミューズの世界観にどっぷりつかれるか、その新しい手法を考えたいんです。
どんな表現方法が適切なのかを模索しながら、雑誌を作り続けていきたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年10月)のものです

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