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ライフスタイルの充実で人生を豊かに。
コーヒースタンドで人の交流を生み出したい
【南麻布でオーストラリア式カフェを運営・中村陽介】

目次
  1. 英語の必要性を感じ、27歳で語学留学
  2. カフェ文化を広めたい、日本で開店
  3. ライフスタイルの充実が人生を豊かにする

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、シドニーに住みながら東京でカフェを運営する中村陽介さんをご紹介。

33歳のときに移住したオーストラリアでカフェ文化に魅了された中村さん。日本でも広めたいと、東京にお店を開きました。中村さんを突き動かした、カフェ文化の魅力とは。お話を伺いました。

1英語の必要性を感じ、27歳で語学留学

高校1年生のとき、10歳ほど年上のいとこの影響でサーフィンにハマりました。
春休みや夏休みなど長期の休みには、自宅のある埼玉から、いとこの家がある茨城県の水戸に行き、サーフィン三昧。
高校卒業後はサーフィンをしながら働くライフスタイルに憧れ、大学には行かず、水戸で一人暮らしを始めました。

昼はサーフィンをして、夜はカラオケボックスやバーでアルバイトをしました。
いろいろな業種のお客さんが集まる場所だったのもあり、次第に、いろいろな方と関われる接客業に楽しさを覚えるようになりました。

しかし、大学に進学した友人たちが就職活動に励んでいる姿を見ていると、少しずつ焦りを感じはじめましたね。
同時に、尊敬する人が上京し、自分も彼がいる東京に行きたいと思うようになりました。
そこで21歳のとき、3年住んだ水戸を離れ、上京。
東京で仕事を探すことにしました。

サーフィンの他に洋服が好きだったので、アパレルブランドの店舗でアルバイトスタッフとして働き始めました。
僕の接客を評価してくれたのか、半年ほどで正社員待遇になり、本部異動が決まりました。
異動の前に、上司の指示で、自社で展開しているブランドの全国の店舗を回って、接客の勉強をしました。
ブランドの種類や店舗の場所、大きさでお客さんとの向き合い方も変わるんだと、たくさんの学びを得ましたね。
1年ほどかけて全国の店舗を回った後、本部に異動して店舗開発や人材開発の業務に携わりました。

本部に異動した頃、世間では羽田空港の国際化の話が持ち上がっていました。
この話を聞いたとき、アルバイトをしていた頃に見た、香港や台湾、韓国の観光客が服を買い漁る「爆買い」を思い出しました。
羽田が国際化すれば、あの頃よりももっと外国人観光客が来るはず。
アパレル業界のなかで生き残っていくには、観光客の爆買いに対応できる店舗を作る必要があるし、英語で対応する力が必須だと思いました。

27歳のとき、僕は会社を辞め、ワーキング・ホリデー制度を利用して1年間オーストラリアに行く決断をしました。
会社からは引き止められましたが、自分の未来のためにという強い思いがあり、後悔はありませんでした。

2カフェ文化を広めたい、日本で開店

まったく英語が喋れない状態で現地に行ったので、入学した語学学校では一番下のクラスからのスタートでした。
でも、なんとしてでも英語を習得したいと、現地の人と喋るためになるべく日本人と接触しないよう、シェアハウスも日本人のいない場所を選びました。
努力の甲斐あってか、一年でまったく英語を話せない状態から、簡単な日常会話を英語で話せるようになりました。

帰国後、知人と成田空港内でアパレルブランドの店舗運営会社を立ち上げました。
初めて立ち上げた会社だったので、最初は寝る時間も惜しんで働きましたね。
日本に来る外国人観光客も前職のときより増えていたのもあって、3ヶ月ほどで軌道に乗り始めました。

しかし、会社立ち上げから半年後、東日本大震災が起きました。
震災後、海外からの観光客が激減し、売上が一気に落ちました。
なんとか一年ほど耐えしのいだ辺りから、少しずつ観光客が日本にやってくるようになり、売上も戻ってきました。

ただ、震災を経験してから、いつ何が起こるかわからない世の中に自分たちはいるんだと感じ、一つの場所に定住するのに疑問を持つようになりました。
日本だけでなく、海外にも拠点を持ちたいという気持ちが強くなりましたね。

付き合っていた彼女がオーストラリアに住んでいたのもあり、僕は2015年に会社を手放して33歳でオーストラリアのシドニーへ移住しました。

シドニーに住み始めてから、アパレル業ではなく、現地のカフェに興味を持ちました。
オーストラリアのカフェはコーヒーの味が格別で、おいしいコーヒーを飲みながらお客さん同士や従業員が情報交換する地域の交流の場でもありました。
驚いたのは、オーストラリアのほとんどの有名カフェは個人経営で成り立っていたことです。
外国から展開してきた大手コーヒーチェーン店が撤退するほど、オーストラリアではカフェ文化が定着しています。

僕は毎日のようにいろいろなカフェに足を運びました。
オーストラリアの多国籍な文化も特徴の一つで、いろいろな人種の人が働いています。
自分の国籍や身分を気にすることなく、地元の人の中に溶け込み、交流する時間がとても心地よく感じましたね。

その後、カフェで働くようにもなりました。

カフェの魅力を知るうちに、オーストラリアのカフェ文化を日本でも知ってもらいたいと思うようになりました。
日本でも昔、オーストラリアのカフェ文化に似た、商店街でのご近所同士の交流といった古き良き文化がありました。
僕はアパレル時代に全国の店舗を回っていたとき、各地域の個人店を訪ねて、地元の方と交流するのがとても楽しかったんです。
でも、時代が進むにつれて、大きな商業施設や大型チェーン店が台頭し、こうした交流が昔よりも希薄になったのにさみしさを感じていました。

せっかく日本でビジネスをするなら、自分が住んでいるオーストラリアの良い文化をビジネスにしたいと思っていましたし、オーストラリアンスタイルのカフェであれば、時代に合ったコミュニティの場になるだろうと思ったんです。
早速、日本とオーストラリアを行き来しながら店舗を探し、準備を進め、2018年7月、南麻布の住宅街にオーストラリアンスタイルカフェ「NtS coffee Tokyo」をオープンしました。

3ライフスタイルの充実が人生を豊かにする

現在はシドニーに住みながら、NtS coffee Tokyoを経営しています。東京にいるビジネスパートナーと定期的に連絡を取り合い、通常の営業はスタッフに任せ、定期的に帰国してお店に立っています。

NtS coffee Tokyoは開店して2年を迎えました。
今では地元住民の交流の場の一つになっています。
自分の好きなコーヒーというアイテムを通じて人と人との交流が生まれるのを見ると本当にうれしいですね。
NtS coffee Tokyoでお客さん同士が繋がったり、朝、コーヒーを買ってくれたお客さんが「朝から元気が出ました。行ってきます」と言ってくれたり、お店をオープンして良かったと思います。
現在はもっと交流が生まれるような、新しい店舗作りも考えています。

オーストラリアンスタイルカフェ「NtS coffee Tokyo」

オーストラリアンスタイルカフェ「NtS coffee Tokyo」

僕は、自分の人生を豊かにするには、仕事や家族など自分に関わる全てのライフスタイルを充実させることが大切だと思っています。
大学には行かずサーフィンのために水戸に移住したり、語学留学のために会社を辞めてまでオーストラリアに渡ったりしました。
一般的な人生のレールを歩んでいないかもしれませんが、それでもさまざまなことを経験し、たくさんの学びを得られました。

デジタルが発達してオンラインでのコミュニケーションも増えていますが、対面で人と会う大切さも見直されてきていると思うんです。
オーストラリアンスタイルのカフェを開いたのも、昭和の商店街のような人と人との交流が生まれる文化を時代に合わせた形で伝えたかったからです。

今後も僕なりの伝え方で人と人との交流の大切さ、ライフスタイルの充実の大切さを伝えていきたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年10月)のものです

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