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56歳で大手企業を辞めて起業。
パソコンで人生を豊かにするお手伝い
【中高年・初心者向けのパソコン教室&カフェを運営・伊勢谷圭了子】

目次
  1. コンピューターの未来予想図をつくる
  2. 60歳を過ぎても働き続けたい
  3. パソコンを通じて豊かな人生を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、原宿で中高年・初心者向けのパソコン教室を併設したカフェを運営する伊勢谷圭了子(いせたに かよこ)さんをご紹介。

システムエンジニアとして大手企業に勤めていた伊勢谷さん。50歳を過ぎたとき、今後の人生を考え、役職離任(管理職定年)を機に起業する道を選びました。その背景にある想いとは。お話を伺いました。

1コンピューターの未来予想図をつくる

高校生の頃、女性は結婚して家庭に入るのが当たり前でした。
ただ私は、結婚相手に自分の人生が左右されるのはあまりにも理不尽で不確かだと感じていました。

高校2年のとき、理工系の道を志し、大学に進学し経営工学を学びました。
コンピューターのプログラミングを学ぶのがとても楽しかったです。
両親は私の進路にほとんどあれこれ言わず、やりたいようにさせてくれましたね。
大学ではクラブの勧誘にのせられ、英会話サークルに。
英語を学ぶうちに、海外に憧れを抱くようになりました。

就職活動の時期になって将来のことを考えたとき、改めて、社会に出てずっと働き続けられる職につきたいと思いました。
その頃、女子大学生は卒業して間もなく結婚して家庭に入るか、数年ほど一般職で働いて寿退社するかが一般的でしたが、そんな選択はしたくなかったんです。
まずは自分で生きられる力をつけたいと、仕事を探しました。

その年に経営工学科に女性募集の公募を出していた企業は大手の銀行と情報通信会社の二社のみだったので、情報通信会社に応募。
運も味方したのか採用が決まり、システムエンジニアとして入社しました。

入社3年目のとき、社長直属のプロジェクトに招集されました。
社内からランダムに28人の女性が選ばれ、何をしても良いと言われた中、家庭に居て直接コンピューターに縁がないと思っている多くの女性にコンピューターを身近に感じてもらうための冊子を作ることにしました。

当時コンピューターは企業で、主に男性が使うものとされていました。
縁がないと思っている多くの女性に、どうしたらコンピューターというものを知ってもらえるだろう。
そもそもコンピューターってなんのためにあるのだろう。
人の暮らしが豊かになるためのものでなければならないのでは?と、プロジェクトメンバーの女性社員やアドバイザーの会社の幹部と多くの時間を使って議論しましたね。

議論の末、生まれたのが「暮らしの中のコンピュータ」という冊子です。
コンピューターが動く仕組みを、料理を例に例えて説明したり、私たちの描くコンピューターを使った未来の生活をイラストと文章で紹介したりしていました。
例えば「コンピューターを通じてテレビ画面に相手の顔が映って会話ができるようになります」といった未来予想図をいくつも載せています。
冊子が出来上がったときは、これが実現すればきっとワクワクする素敵な世界になるなと感じましたね。

伊勢谷さんが作成に関わった冊子「暮らしの中のコンピュータ」

伊勢谷さんが作成に関わった冊子「暮らしの中のコンピュータ」

260歳を過ぎても働き続けたい

海外担当のシステムエンジニアとして10年ほど仕事をした後、その仕事の延長で中国に3年間駐在し、現地事務所の所長もしました。
帰任後は、ソフトウェアの海外向けマーケティングや、海外グループ会社を含めた全社内のウェブシステム充実化などの責任者としての仕事をしました。

管理職になってからはずっと人事評価に苦しみました。
部下を比べて、部門の持つ評価枠の中で上げたり落としたりしなくてはならないのがつらかったですね。
管理職という立場は、上司と部下の板挟みでしたね。
部長職にもつき、目いっぱい仕事はしてきましたが、だんだん組織の枠の中にいる息苦しさを感じるようになっていました。

私のいた会社では50代半ばに管理職はいったん退職し、望めば会社と契約を結び直すことができる役職離任(管理職定年)という制度があります。
それが数年先に見えてきた頃、その先の人生をなんとなく意識するようになりました。
60歳を超えても仕事は辞めず、目いっぱい走り続けたい。
それに、どうせなら自分のやりたいことをしたいと思ったのです。

自然に、起業する選択肢もありかと思うようになりました。
会社に残っても、別の会社に転職しても、組織の一員になり続け、組織のしがらみにいることになる。
だったら自分で一から立ち上げればいいんだと思ったのです。
やっとそういうことができるときが来たのだとも思いました。

会社に勤めている間、職場のオーバーワークでストレスを抱えたり、体をこわしたり、心の病気になったりした人たちを何人も見てきました。
だから、私は人が集えて、ほっとできて、幸せを感じられるカフェのような場所をつくりたいと思ったんです。

ただ、起業、特にカフェは全くの専門外なので、知識をつけようと週末を利用してカフェや飲食店を開業するためのスクールに通い始めました。

未知の分野の勉強は楽しかったです。
カフェや飲食店のオーナーから直接、開業の具体的なノウハウを教えてもらえたのはいい経験でしたね。
カフェにはおいしいコーヒーが必要と、スクールとは別に、都内の有名カフェでコーヒーの淹れ方の指導も受けました。

しかし、カフェ開業に向けての事業計画書をつくっていく中で、カフェだけで利益を上げていくのは難しそうだと気づきました。
他に何ができるのだろうか…。
私の得意なことを活かすとすると何があるのだろう。
考えていると、私が長年親しんでいるコンピューターが浮かびました。
若い世代のデジタルネイティブと呼ばれる人たちはスマートフォンやパソコンを使えていますが、私と同じか、私より上の世代でパソコンを使いこなしている人はあまり見かけません。

インターネットが普及し、パソコン一台あればいろいろなことができます。
それなのに、「自分には無理」と言ってパソコンを使わない人たちを見ると、もったいないと思っていました。

カフェの雰囲気の中で、パソコンを教える中高年向けの教室をつくろう。
教室らしくない、リラックスした雰囲気の中で楽しくパソコンを覚え、そこに来た人同士がコーヒーを飲みながら楽しく交流できる場所をつくろう、と思いました。
私は役職離任(管理職定年)を機に56歳で会社を辞め、パソコン教室を併設したカフェ「SevenStream」を原宿に開きました。

3パソコンを通じて豊かな人生を

カフェを開き、13年がたちました。
今までパソコンを使う機会がなかった人、一人ではパソコンを使えない中高年や初心者を中心に、パソコンの使い方を教えています。
一般的なパソコン教室とは違い、くつろげる雰囲気の中で、実務的な操作方法だけでなく、生活や趣味の中で活かせるパソコンのいろいろな使い方、知識を習得してもらっています。

初めは恐る恐るパソコンに触っていた受講生がちょっとずつスキルを習得し、「こんなこともできるようになった」と感激してくれるのを見ると、私も幸せと喜びを感じます。
表計算ソフトの図形機能を駆使して花の絵を描き、お手製のカレンダーを作られた91歳の方もいらっしゃいました。
今では、皆さんに操作を覚えてもらって、オンラインの授業も行えるようになりました。

普段の生活が便利になったり、すばらしい作品を作ったり、インターネットで世界中の人とつながったり。
「私にはパソコンなんて縁がないよ」という人にこそ、パソコンに触れてほしいんです。

今から40年以上も前、個人がコンピューターを持てるようになるなど空想の中でしか考えられない時代でした。
会社に入って4年目のときに作った「暮らしの中のコンピュータ」は、コンピューターに縁のない人にもコンピューターを知ってもらいたい、と作りました。
あれから40年以上たちますが、この想いは変わりません。

パソコンなど情報機器は自分に縁がない、苦手、と思っている方に、楽しく知って、使ってもらいたい。
その方の世界と可能性を広げて、人生を豊かに、より幸せを感じられるようになってほしい。
私は、これからもそのお手伝いをし、その幸せを共有していきます。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年9月)のものです

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