1父の病気で落ち込む家族を元気に
私が生まれてすぐに、商社勤めだった父親の仕事の都合で、アメリカのシアトルに引っ越しました。
その後も、小学校を卒業するまでシアトルと日本を行ったり来たりしました。
全く環境が違うシアトルと日本。
転校するたびにルールの違いに戸惑い、悩みましたね。
特にシアトルでは言語の壁にぶつかりました。
でもずっと悩んでいても状況は変わりません。
この生活を楽しもうと、言葉がわからなくても、相手の表情や雰囲気を読み取って笑顔で接するようにしていたら、周りの人も笑顔で助けてくれたんです。
うれしかったですね。
私も笑顔の力で、誰かを助けられるようになりたいと思いました。
大学3年生のとき、イギリスに1ヶ月の短期留学へ行くことになりました。
現地の大学でビジネスを体系的に学べることを知り、両親に無理を言ってお金を工面してもらったんです。
迎えた出発当日、両親に見送られ、私はイギリスに旅立ちました。
滞在先となる現地のシェアハウスに着き、これから始まる留学生活に思いをはせていたとき、母から連絡が来ました。
「お父さんが倒れた。重い病気みたいだ」と。
最初は意味が分かりませんでした。
私がイギリスに出発した日に倒れるなんて…私のせいで倒れたのかもと本気で思いました。
すぐにでも帰らないといけないと思いましたが、母は続けてこう言ったんです。
「お父さんは『留学をやりきりなさい』と言っているから心配しなくて大丈夫よ。検査もこれからだから」と。
心配でしたが、お金を工面してくれた両親のためにも1ヶ月、しっかりと勉強することにしました。
帰国後、父はまだ入院していました。
留学中、家族は私に心配をかけないように気を使って病気のことを知らせなかったんです。
話を聞くと、病気の原因が西洋医学では解明ができないと知らされました。
家族が落ち込んでいるのを見て、私も落ち込みました。
元気だった父が突然大病を患ったので、家族全員が不安でいっぱいでした。
私はいったいどうすればいいのか、いま家族に対して何ができるのか…。
考えた末、まずは私が笑顔でいようと思いました。
小さい頃から周りの友人たちを元気にするために見せてきた笑顔を、今こそ全力で家族に向けるべきだと思ったんです。
私は母と姉に「大丈夫!お父さんは良くなるよ!」と明るく振る舞いました。
2人はそんな私を見て少し元気になってくれましたね。
父は3ヶ月の入院生活を経て退院しました。
私は父に栄養バランスのいい料理を食べて元気になってもらいたいと、体にいい食べ物や調理法といった食事療法や東洋医学の考え方を勉強しました。
父の体が良くなることだけを信じ、できることを探し続けていましたね。
私の提案に、父は最初乗り気ではありませんでしたが、次第に取り入れてくれるようになりました。
母と姉も次第に元気になってきて、家族みんなが前向きな気持ちを持てるようになりました。
微力だけれども、良くなることだけを信じて、その方法を模索し続けて、家族全員が前向きな気持ちで乗り越えることができて本当に良かったなと思いましたね。
2「つまらない」を「楽しい」に変える
就職活動の時期を迎えました。
人を喜ばせる仕事、日本と海外の架け橋となるような仕事をしたいと思いました。
会社を探していると、商社の営業事務の募集を発見。
得意の英語も活かせるし、営業なら仕事を通して人に喜んでもらえそうだなと就職を決めました。
海外事業部に配属され、主な業務として輸出入に必要な通関書類の作成を任されました。
海外の取引先とのやり取りは面白かったです。
国によって文化も風習も違うので、相手が求めることはなんだろうと想像力を働かせながら仕事をしました。
しかし、入社して数週間たった頃、「あれ…なんか違う」と思いました。
仕事は書類作成や電話での営業対応がほとんどで、取引先の人と対面する機会は全くと言っていいほどなかったんです。
私は人の喜ぶ顔が見たくて会社に入ったのに、人のためになっている実感がなく、物足りなさを覚えました。
このまま書類と向き合う仕事をしていて「本当にこれでいいのかな?」と思うようになったんです。
ある日、知人のウェブマガジン編集長に仕事の相談をしたところ、「面白い出版社の社長を紹介するから話だけでも聞いてみたら」と言ってくれて、後日、3人でカフェでお茶をすることになりました。
社長から話を聞くうちに、この出版社は「うんこ漢字ドリル」を発売していたことを知りました。
「うんこ漢字ドリル」は私にとって、強烈なインパクトのある教材でした。
学生のとき、書店で平積みされているのを見て「うんこを題材にした演習教材って提案しただけでも却下されそうなのに、そのアイディアを形にして発売できるなんて」と衝撃を受けたんです。
さらに、それが世間に受け入れられて大ヒットしていました。
「あり得ない」ことを「あり得る」に変え、みんなを元気にするコンテンツを作る。
それは私の大切にしている「つまらない」を「楽しい」に変えることと似ているなと思ったんです。
この会社で働いたら多くの人を元気にできるかもしれない。
私は2年間勤めた商社を辞めて、24歳で文響社という出版社に転職しました。
3自分の心に正直に、笑顔で楽しく生きる
入社してすぐに、毎年ドイツで開催されているブックフェアへの出店に同行する機会をもらいました。
英語を活かして仕事がしたいと思っていたので、心からうれしかったですね。
現地では来てくれた方に英語でうんこドリルについて説明をしました。
みなさん笑って「私の国にもこんな教材があればいいのに」と言ってくれたんです。
念願の海外出張ができて、さらにうんこドリルの魅力を海外の人に伝えることができて、本当にワクワクしましたね。
現在は文響社の「うんこ事業部」で、「うんこドリル」シリーズの新規事業開発やコンテンツ企画・運営などを担当しています。
「うんこアンバサダー」という肩書で、社内外のたくさんの方たちと仕事もしています。
うんこドリルはこれまでにスポーツ、アトラクション、行政などさまざまなジャンルとコラボしています。
例えば、行政と連携して小さい子どもが地震などの災害について楽しく学べる「うんこ防災ゲーム」や「うんこ防災ドリル」の他にも救急や交通安全など、うんこ先生が教える命を守るための学習にも注力しています。
コラボによって、たくさんの人たちが元気になるのが本当にうれしいです。
もっとたくさんの方たちとコラボして世の中を元気にしていきたいですね。
今後は、得意な英語を活かして、うんこ事業の海外展開に携っていきたいです。
また、父のことがきっかけとなって勉強するようになった食や健康に関する企画にも挑戦したいです。
会社はどんなアイディアでも「まずは形にしてみたら」と言ってくれるので、一つでも多くのコンテンツを生み出していきたいです。
私は、自分が楽しく納得して生きることを大切にしています。
流されやすいと言われることもありますが、病気を含めたどんな出来事にも意味があって、チャンスを見つけられると思っています。
だから、楽しそう、面白そうという直感を信じて行動するようになりました。
その結果、魅力的な人たちとの出会いがあって、ラッキーやチャンスに巡り合うことができ、今の私があると思っています。
今後も、これまで出会ってきた人や環境に感謝し、私自身が何事にもポジティブにいることで、人を元気づけられる生き方や活動をしていきたいと思います。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年9月)のものです