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お金は生み出せなくても。
大好きな「まちづくり」を仕事にできた理由
【コワーキングスペース「up Tsukuba」のおかみ・江本珠理】

目次
  1. 被災地を助けたい思いは一緒なのに…
  2. 自分一人で決められないやりづらさ
  3. もっとまちづくりを研究したい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、茨城県つくば市でコワーキングスペース「up Tsukuba」を運営する江本珠理さんをご紹介。

学生時代にお世話になった人から誘われて参加した、東京都豊島区を盛り上げるプロジェクトで「まちづくり」の魅力を知った江本さん。その後も都内のゲストハウスやコワーキングスペースでコミュニティマネージャーとして奮闘するものの、売上で成果が見えず評価されにくかったといいます。そんな中でもまちづくり・コミュニティづくりを諦めなかった理由とは?お話を伺いました。

1被災地を助けたい思いは一緒なのに…

高校生の頃、国際問題に興味を持ちました。
国際問題を学ぶには、海外よりも自分が生まれ育った日本という国を知っておかなければと考え、日本史の勉強に力を入れていました。

大学では中東の研究をしました。
日本人に馴染みが薄い中東ですが、教授の自分とは異なる考えを受け止め、排除しない姿勢に惹かれ、この人のもとで研究してみたいと思ったんです。
漠然と複雑な政治情勢にある地域だと思っていましたが、研究を進めるうちに、彼らの行動の背景にある考えを知りました。
中東の研究を通じて、立場の違う人の意見や考えをきちんと聞くことが大切だと思うようになりました。

2011年夏にフランスへ留学することが決まり、準備に追われていたとき、東日本大震災が発生。
当時は関西の大学に通っていて被災はしませんでしたが、現地の惨状を知り、すぐにでもボランティアに行きたいと思いました。
でも結局行動にうつせませんでした。
後ろ髪を引かれる思いでフランスに旅立ちました。

帰国して日本の大学に戻った後、学生が被災地をバスで巡るスタディツアーの運営メンバーになりました。
ツアーのねらいは参加した学生が、東北で見聞きしたことを自分の言葉で家族や友人、地元の人に伝えてもらうこと。
私は関西に住む多くの学生とともに、被災地を回りました。
今までは被災地を一つの大きなくくりで見ていましたが、見て回るうちに、一つひとつの街に個性があり、違う課題を抱えているんだとはっとしましたね。

スタディツアーの運営中、問題が起きました。
被災地でボランティア活動をしている学生団体に「君たちの活動はバスで巡るだけで、被災地に寄り添っていない」と言われてしまったんです。

確かに私たちは被災地を巡って現地の人に話を聞くのが主な目的です。
でも、私たちは学生たちが見聞きしたことを、各地の人に伝えたいという思いで活動していました。
被災地を助けたい思いは一緒で、協力できればもっと多くの人を助けられるかもしれないのに、活動の仕方が違うだけで対立するのに疑問を感じました。
結局、その疑問は消えないまま、社会人になりました。

2自分一人で決められないやりづらさ

卒業後は、再生可能エネルギー事業を行う会社の東京支社で働くため、生まれ育った関西から上京しました。
会社では東北の案件を担当しました。
スタディツアーをきっかけに、東北に関わる仕事がしたいと思ったのと、支援する側・される側という立場でなく、ビジネスとして対等な関係を構築したいと思ったからです。

しかし、主な仕事はBtoB(企業間取引)で、現地の人の顔がほとんど見えない中での業務だったので、だんだんモヤモヤが生まれてきました。
理想と現実のギャップを感じ、苦しさがありましたね。

入社して1年が過ぎた頃、学生時代にお世話になった人から東京都豊島区を盛り上げるプロジェクトに誘われ、イベントやマルシェのお手伝いをするようになりました。
お手伝いをするうちに、「えもちゃん、ありがとう」と感謝されることも増えてきました。
会社の自分ではなく、個人としてやりたい活動ができるのがうれしかったですね。

ある日、豊島区を盛り上げる活動に参加していた男性から「ゲストハウスを造るので、よかったら立ち上げに関わってみないか」とお誘いを受けました。
会社での仕事にモヤモヤして、まちづくりの活動が楽しかった私は、「やります!」と即答。
すぐに会社に退職の意向を伝え、ゲストハウスの「おかみ(店長)」になりました。

ゲストハウスは1階が地元の人が集まるカフェ、2階が宿泊施設になっています。
カフェを訪れた地元の人、宿泊に来る外国人、両者が交流できるよう積極的に声をかけてつなぐのが、私の役割です。
結果、さまざまな交流が生まれ、施設は活気づきました。
交流が生まれるのは楽しかったし、やりがいもありましたね。

仕事は楽しかったです。
でも、もっとこうすれば交流が活発になるのにと、いろいろなイベントや企画を考えるのですが、自分一人で実行できないことにモヤモヤを感じるようになり、1年半でゲストハウスを辞めました。

ゲストハウスの後、同じエリアにあるコワーキングスペースでコミュニティマネージャーとして働きました。
ゲストハウスで得た場づくりやコミュニティづくりのノウハウを活かしたいと思ったからです。

コワーキングスペースでも、利用者同士の交流を図ったり、それぞれの仕事につながりそうなイベントや交流会を企画したりしました。
利用者からは好評でうれしかったですね。

ある日、茨城県のつくば市でコワーキングスペースを運営している男性の主催するイベントにゲスト登壇者として参加しました。
内容はゲストハウスやコワーキングスペースの運営に関するもの。
イベントでは、利用者同士をつなぐコミュニティマネージャーの役割が施設の運営でいかに大事な役割を担っているかを、運営者同士で語り合いました。

ゲストハウスやコワーキングスペースのコミュニティマネージャーという仕事は、お金を生み出す仕事ではないので、なかなか評価されづらいと思っていました。
でも、イベントでは主催者、参加者みんながコミュニティマネージャーの役割を理解し、評価してくれたような気がしてとてもうれしかったですね。
こんなイベントを主催してくれた人と仕事ができたらいいなと思いましたね。

後日、男性から「つくば市で一緒に新しいコワーキングスペースを造りませんか?」と誘われました。
縁もゆかりもなかったつくば市ですが、「この人がいるならなんとかなるだろう」と、2018年7月、つくば市に移住し、コワーキングスペース「up Tsukuba」の「おかみ」に就任しました。

3もっとまちづくりを研究したい

つくば市に移住し、up Tsukubaを立ち上げたものの、何をしたらいいか分かりませんでした。
日中はup Tsukubaにいないといけないので外での交流が難しい。
会員はほとんどいない。
友達は東京にいる。
地元の人との会話がほとんどないまま、一日が終わることもありましたね。
2ヶ月ほど、しんどい日々が続きました。

少しでも地元を知らなければいけないと思い、地元のお店や人を紹介するウェブメディアの編集長になったり、地元FMラジオ局のディレクターになったりして、地元の人と知り合う機会を作りました。
いろいろな人と会うたびに、つくばには面白い大人がこんなにたくさんいるんだと思いましたね。
up Tsukubaの会員も徐々に増え、会員と地元の人の交流イベントも盛り上がりを見せるようになってきました。

江本さんが運営するコワーキングスペース「up Tsukuba」

江本さんが運営するコワーキングスペース「up Tsukuba」

up Tsukubaのオープンから2年がたち、次に私がしたいことは、まちづくりの研究です。
これまでゲストハウス、コワーキングスペースの運営を通じて実地でまちづくりをしてきましたが、これからは全国各地のまちづくりに関するデータを集め、広い視野でまちづくりを研究していきたいです。
研究のため、大学院への進学も視野に入れています。

高校生のときは、国際問題に興味を持ち、グローバルな視点で物事を考えていました。
でも、大学生のときに被災地のスタディバスツアーを経験して、初めて「まちづくり」という言葉を知りました。
高校生のときの私からすれば、まさか「まちづくりの研究」をしたいなんて思ってもみなかったと思います。
社会に出てから大きく価値観が変わりましたね。

今後の人生、どうなるか分かりませんが、今はまちづくりの研究に全力を尽くしていきたいと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年8月)のものです

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