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不幸や苦手は避けて生きる。
生きづらい世の中を渡り歩くコツ
【ボイストレーナー/YouTuber・白石涼】

目次
  1. 絶望の中で出会ったアカペラ
  2. アルコール依存症で休職、ブログ執筆が浮上のきっかけに
  3. 生きづらい人が生きやすい世の中に

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、フリーのボイストレーナーでYouTuberの白石涼さんをご紹介。

負けず嫌いな性格で、東大受験の失敗から「人生終わった」とまで思い詰めたそうです。しかし親の薦めで入学した大学でアカペラに出会い、「歌の先生」を志すようになります。どのような心境の変化があったのか。お話を伺いました。

1絶望の中で出会ったアカペラ

中学・高校と進学校に通っていて、クラスメートのほとんどが東京大学を目指して勉強していました。
すごく負けず嫌いな性格だったので猛勉強し、成績はトップクラスでした。
しかし、東大の受験に落ちてしまったんです。
有名私立大学には受かっていたのですが、東大以外の選択肢なんてあり得ないと思っていたので、浪人しました。

東大に落ちた自分が許せませんでした。
ストレスから過食してしまい、体重は1年で40キロ増えました。
常に「死にたい」と思っていてうつ病のような感じでした。
そんな状態では勉強するのも難しく、2回目の東大受験も失敗。
自宅のパソコンで合格発表のページを開いたままぼう然としました。
人生終わったと思いましたね。
東大以外の大学に価値はないと思っていましたが、両親から強く薦められ、仕方なく滑り止めで合格した私立大学に入学しました。

大学では勉強する意味も感じなかったし、とりあえず好きな音楽でもやろうかなと、アカペラサークルに入りました。
歌うのはそれなりに好きで、いろいろなジャンルの音楽を聴いて、高校生のときは一人でカラオケボックスに行き、歌っていました。
アカペラサークルで新入生歓迎会が行われることになり、1年生が何組かのグループを作ってアカペラを披露することになりました。
グループで練習して迎えた発表の日、100人ほどの前で歌を披露したら、会場が盛り上がったんです。
先輩たちは「きみ、歌うまいね」と言ってくれました。
僕は人前で歌った経験がほとんどなかったので、うれしかったし「僕は歌がうまいのかも」と思いました。

歓迎会をきっかけに、人前で歌うのにハマりました。
朝早く起きて、授業前に空き教室を使って1時間ほど練習し、授業が終わった後も仲間たちと練習する毎日。
努力の甲斐あって、テレビ番組のアカペラ企画で賞をもらうほどになりました。
多くの人に自分の歌声を聴いてもらえて充実感でいっぱいでしたね。

大学3年生になって将来のことを考えたときに、歌手にはなれないけど、歌の先生だったらやっていけるかもしれないと思いました。
小学校高学年からゲイであることを認識して生きていて、男性同士でする恋愛話や下ネタ話に付き合うのが本当にしんどく、普通に会社勤めするのは難しいと感じていたからです。
とはいえ、周囲の人たちにカミングアウトをするつもりもありませんでした。
音楽の世界なら、他の仕事よりも女性の割合が多いと思ったのも、歌の世界を選んだ理由の一つです。

大学卒業後、ボイストレーナーとしてボーカルスクールで働き始めました。
最初はアルバイトでしたが、1年後には正社員に昇格しマネージャーになりました。
労働環境はとても良かったし、生徒さんの歌が上達するのにやりがいを感じていましたね。

ただ、僕にはお付き合いしている人がいて、一緒に暮らして彼を養っていきたいと思っていたので、より多くの給与を頂ける仕事を探していました。
今なら第二新卒として大学のネームバリューで転職活動ができる。
会社勤めには不安もありましたが、26歳のとき、思い切って大手の広告営業の仕事に転職しました。

2アルコール依存症で休職、ブログ執筆が浮上のきっかけに

転職先はいい会社でした。
残業はほとんどなく、土日も休みだし、福利厚生もしっかりしていて、給与も十分頂いていました。
不安だった人間関係も、先輩や上司が温かくて安心しました。
営業の仕事で社内表彰も受け、なんてすばらしい職場環境なんだろう、転職して良かったと思いました。

しかし、数ヶ月たつと、満員電車に乗って出勤するのが日に日にしんどくなってきました。
音楽スクールのときは出勤時間を自分でコントロールできたので、満員電車に乗る必要がありませんでした。
満員電車はこんなにしんどいのかと思いました。

僕は生まれつき、人の言動や表情、感情に敏感なHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の特性があります。
転職してから、HSPがさらに敏感になりました。
例えばオフィスでの雑談や会議など社員同士の会話が全部耳に入ってくるんです。
スクールのときは少人数で仕事をすることが多かったので、そこまで気になりませんでした。

他にも、生まれつき持っている先端恐怖症にも悩みました。
例えばアイスコーヒーのストローやティッシュペーパーの箱の角を見ただけで目を覆いたくなってしまうんです。
前職と違って多くの人や物に触れる時間が、ストレスになっていきました。

こうしたストレスを紛らわすために、日中からお酒を飲むようになりました。
お酒は過敏な感覚を鈍らせてくれるんです。
営業先から退勤し、自宅に戻る電車の中で缶チューハイを2本飲むこともありましたね。
帰宅したら、家でまたお酒を飲む。
飲まないと生活できない状態になっていきました。

でも、だんだんお酒で感覚をごまかせなくなり、営業先の場所を間違えるなど仕事にも影響が出始めました。
アルコール依存症の症状の一つである手足のしびれに加え、不眠、めまい、慢性頭痛も起きていました。
さすがにまずいと思い、病院に行ったところドクターストップがかかりました。

会社からは休職を勧められました。
僕の人生は終わったと思いました。
こんな素敵な職場環境で待遇もいいのに、休職することになるなんて、社会に適合できない人間なんだなと絶望を感じました。

休職し、病院に通いました。
次第に症状も良くなり、気持ちと体力に余裕が出てきたので、何かしてみようと、ブログを書き始めました。
ボイストレーナーの経験を活かして、歌が上手になるためのコツを何本か書いていくと、「レッスンはやってないんですか?」という問い合わせが来るようになりました。

休職から3ヶ月たった頃には、ボイストレーナーだけでやっていけるほどの問い合わせが来るようになりました。
もっと自分のことを知ってもらおうと、他のSNSでの発信を始めると、さらに反応が来るようになりました。
僕の歌を教えるスキルにはニーズがある、社会にとって価値があるんだと実感しましたね。
もう会社勤めはしなくても食べていけると思い、退職して独立しました。

3生きづらい人が生きやすい世の中に

現在はフリーのボイストレーナーとして活動しながら、SNSで歌がうまくなるコツを発信しています。
特にYouTubeの「しらスタ【歌唱力向上委員会】」は、チャンネル登録者が95万人を超えました。

今後は、自分のYouTubeチャンネルを歌番組のようなコンテンツにしていきたいです。
テレビの歌番組のように、新曲を発表したアーティストが僕のチャンネルに遊びに来てくれるように規模を大きくしていきたいです。
歌は大好きですが、自分が動画に出ることには、あまりこだわりは持っていないんです。
歌うのって楽しいなと思えるようなチャンネルを展開していきたいですね。

今の生活になってからは、自分の敏感な部分がコントロールしやすくなりました。
満員電車に乗らなくてもいいし、無理に人と会わなくていいし、自分のペースで仕事ができるので、生きやすくなりましたね。
YouTubeの登録者数が増えてから、自分がゲイであることを動画でカミングアウトもしました。

「人生楽しそうですね」とよく言われますが、そんなことはないです(笑)。
昔は人生の選択肢が少なかったので不幸や苦手を避けられない生活を送っていましたが、今はSNSの発信をきっかけに選択肢が増えて、不幸や苦手を上手にかわして生活できるようになりました。

生きづらい人は世の中にたくさんいます。
そんな人たちのために自分の特性を話したり、悩み相談に乗ったりするYouTubeチャンネルも開いています。
生きづらい人が生きやすくなる活動も展開していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年8月)のものです

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ご協力ありがとうございました
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