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「子育てと仕事の両立」はもう古い?
仕事はライフワークにできる時代だから
【「週3会社員 × 週2フリーランス」のパラレルワーカー・井上千絵】

目次
  1. 深く長い人付き合い、ドキュメンタリーへの思い
  2. 仕事ができない…出産後の不安とストレス
  3. 仕事は人生そのもの

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、子育てママ・会社員・起業家と三足のわらじで活躍する井上千絵さんをご紹介。

憧れていたテレビ業界での仕事に生きがいを感じていた井上さん。ところが、結婚・出産を経て、仕事ができなくなってしまったことに不安とストレスを感じたと言います。どのようにして乗り越えたのか。お話を伺いました。

1深く長い人付き合い、ドキュメンタリーへの思い

ミーハーな女の子で、小学校のときにワイドショーや情報番組を夢中になって見ていました。
ずっとテレビを見ているうちに、芸能リポーターの東海林のり子さんに憧れるようになりました。
みんなが知らない情報を現場に行って手に入れて、それをいち早くテレビで伝えるのはすごいなと思ったんです。

現場には、テレビで伝えているより、もっと多くの情報がある。
そう感じて、それにちょっとでも触れてみたいという思いから、大学生のとき興味のあるニュース現場に頻繁に足を運んでいました。
将来はテレビ局に入ってリポーターになりたいと思うようになりましたね。

その夢を持ち続けたまま、東海林さんが出た大学に進学。
就職活動が始まると、各地のテレビ局の採用試験をたくさん受けました。
その中で、香川県のテレビ局に総合職として内定をもらいました。
夢をかなえるためのスタートラインに立つことができて、本当にうれしかったですね。

香川で最初に学んだ仕事は、テレビカメラの担ぎ方でした。
地方のテレビ局は少数精鋭でニュース番組を作るので、役割はリポートだけでなく、記者、カメラマン、映像の編集作業、番組のディレクターなど多岐にわたります。
目の回るような忙しさでしたが、テレビの仕事に関われるのは幸せでしたね。

リポーターに憧れて入ったテレビ局ですが、リポーターよりもドキュメンタリー番組を作りたい思いが強くなっていきました。
元々、深くて長い人付き合いをしていきたいタイプだったので、一人を長く密着取材するドキュメンタリーの方が、自分に合っていると思ったんです。
リポーターだと、関心があるニュースがあっても、翌日はまた別のニュースを取り上げなければなりません。
そんな日々だと、一つのことを深く長く取材ができない。
だんだんとジレンマが生まれてきました。

また、日々のニュースを取り上げるとき、一番「旬」なときに取り上げられない悔しさも感じていましたね。
例えば、新技術を生み出した人のインタビューをニュースにする際、一番の旬は新技術が生まれた瞬間です。
しかしインタビューをするのは、その瞬間ではなく技術が確立されたあと。
旬を映像に収められない悔しさを感じつつ、どうすればテレビで実現できるのか、モヤモヤする日々が続きました。

そんな中、忙しい日々の合間を縫って取材を重ね、念願かなってドキュメンタリー番組を作ることができました。
でも、その後はまた別のニュースを追う日々に戻り、ドキュメンタリーの追加取材を続けることは容易ではありませんでした。
もっと番組作りに集中できる環境に身を置いて、新たな挑戦をしてみたいと感じ、2年で退局して25歳のとき、名古屋のテレビ局に転職しました。

2仕事ができない…出産後の不安とストレス

名古屋のテレビ局では、事件担当の記者として取材に奔走しました。
取材に集中できる環境になって、ドキュメンタリー番組の密着取材も増えたんです。
プライベートの予定はほとんど入れず、土日も仕事をしていました。
趣味も全くありませんでしたね。
小学生のときから憧れていたテレビの世界で働けることに、喜びと幸せを感じていました。
東京のテレビ局にも出向し、東日本大震災の取材も経験しました。
命のある限り、仕事に打ち込もうと思いましたね。

2014年に結婚し、2016年に娘を出産しました。
出産後、大きな不安が生まれました。
1日の99%仕事をして生きていたのに、優先順位の一番が強制的に子育てになってしまったからです。

子育てをしながらの仕事には、どうしても時間的に制限ができてしまいます。
周りには出産してバリバリ働いている女性も少なかったので、このままテレビ局で働くことに不安を感じ、別の働き方を模索し始めました。

まずは一般的な転職活動についても考え始めましたが、子育てをしながらできる、時間に融通が利く働き方は見つかりませんでした。
子どもが急病になったら会社を早退しないといけませんが、その回数があまりに多かったらどうしようとか、子どもの保育園やお祝い行事のお休みも考えると、なかなか会社勤めのイメージがわかなくて。
育児をすると、自分の時間のコントロールがこれほどまでに難しくなるのかと痛感しました。
時間や場所に縛られずに働くには、上手にキャリアチェンジをしないといけないと思うようになりましたね。

選択肢を探る中で、マスコミの交流会で知り合った女性を思い出しました。
その人はマスコミを辞めて、大学院でメディアデザインを学び、外資系企業にキャリアチェンジをしていたんです。

大学院に行けばキャリアチェンジができるのだろうか。
その女性に連絡して話を聞くと、子育てをしながら大学院に通っていたことを知りました。
同じようにすれば、キャリアチェンジや、もしかしたらキャリアアップの勉強もできるかもしれない。
そう思い、10年勤めたテレビ局を辞め、大学院(KMD)に入りました。

大学院では、社会課題を解決するためのアプローチに始まり、自らのアイディアをサービスとして社会に届けるデザイン思考も学びました。
院生は20代半ばの人が多かったので、講義の内容だけでなく若い世代の考え方にも触れ、たくさんの学びと刺激を受けました。

大学院には起業している人もいました。
私は彼らから「どうすれば、自分たちの会社がメディアに取り上げられるか」という相談をよく受けていました。
私の持っているスキルがベンチャー企業のPRに役立つのではないか、と思うようになりました。

こうした相談が増えてきたので、「このスキルでやっていけるのかも」と思い、時間や場所に縛られずに働くには独立だろうと、在学中の2018年、フリーランスになりました。
主な仕事はベンチャー企業のPRです。
PRの仕事は、企業や人に一からコミットし、中長期のスパンで成長や変遷に伴走することができます。
テレビのドキュメンタリーを作りたいと思ったきっかけでもある、深く長い人付き合いをしたい、という自分の適性にもマッチしていると感じました。

3仕事は人生そのもの

現在はパラレルワーカーとして、ベンチャー企業を対象にしたPR会社で週3日、会社員として働きながら、ウェブメディアのプロデュース、さらに2020年に「ハッシン会議」という会社を作り、会員制のコミュニティを運営しています。
働き方は完全リモートワークなので、時間も場所も全て自分で管理しています。

結婚して子どもを産んだ女性の多くは、子ども中心の人生を考えていくと思います。
私も最初はそうでした。
でも、試行錯誤を繰り返すうちに、自分がすごくやりたい、ワクワクしたいと思うことが大切だと改めて思いました。
従来の日本社会には、子どもや家族のために、母親の人生を犠牲にするのはしょうがないとされる価値観もありました。
でも、働く女性が昔より増えている中で、子育てママが仕事を続けるのか、諦めるのか、という二択の価値観はちょっと古いと思うんです。

「子育てと仕事の両立」という言葉があります。
でも、私にとって、仕事は人生そのもの。
選択するものではなく、「ある」のが当たり前で、「子育て」と並列するものではないと思っています。

仕事をライフワークにしていくためには、自分の仕事に対する価値観をアップデートし続ける必要があります。
環境の変化、時代の変化にあわせて働き方も変わっていくからです。
例えば、子どもが保育園から小学校に上がって生活様式が変わるかもしれない。
夫の転勤で、日本にいられなくなってしまうかもしれない。
こうした変化にあわせていくためには、常に柔軟に学び続ける姿勢が必要だと思います。

一人で悩まず、良き相談相手を見つけることも大切ですね。
私自身、夫に仕事のことをたくさん相談していますし、何人もの尊敬するメンター的存在に仕事や生き方の相談をしています。
一人だけだと発想に限界があるので、他者に壁打ちすることでいろいろな気づきを得られます。

なかなか柔軟な考えや働き方ができないという相談も受けます。
そんなときは新しいものに触れて、新しい価値観を知るところから始めてみるのがオススメです。
ちょっと人生の先輩の話を聞くだけでもいいと思いますよ。

今後も深く長い人付き合いをしながら、柔軟な姿勢を持って学び続けたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年7月)のものです

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