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「専業主婦」も履歴書の一部に。
全ての経験を活かし、娘に未来を見せる母親でありたい
【ホスピタリティプロフェッショナル/エッセイスト/女性コミュニティ運営・薄井シンシア】

目次
  1. 娘の寝顔を見て専業主婦になることを決意
  2. 子育てを終えて、職を失った気分に
  3. 娘のために、私は仕事を続けていく

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、17年間専業主婦をした後に仕事復帰し、現在は大手飲料メーカーのホスピタリティ担当として働く薄井シンシアさんをご紹介。

娘が成長し、自分の手を離れたことで喪失感に襲われ、次は何を生きがいにすればいいのかと悩んだ薄井さん。そんな薄井さんを救ったのは、やっぱり娘さんのある一言でした。その一言とは。お話を伺いました。

1娘の寝顔を見て専業主婦になることを決意

20歳のとき、フィリピンから国費外国人留学生として日本にやってきました。
生まれ育った家庭の「女性に教育はいらない」という慣習が嫌で、学校の掲示板に貼ってあった日本への留学生募集に応募したのがきっかけでした。
父には猛反対されましたが、もうフィリピンには戻らないと覚悟を持って来日しました。

来日1年目は大学附属の日本語学校で日本語を猛勉強し、2年目で大学に入りました。
アルバイトもたくさんしましたね。
スーパーでフィリピンバナナを売ったり、窃盗事件のフィリピン人容疑者の通訳をしたり。
うまくいかないこともありましたが、自分にできることはなんでも挑戦しました。

ある女子大学で行われた「女性の生き方」というテーマの意見交換会に、留学生ということで、招かれてスピーチをすることになりました。
私は「日本では、大学を卒業後は結婚して主婦になって、良妻賢母になることが女性の理想と言われています。
でも、専業主婦だけが理想なのでしょうか?私は結婚しても仕事をしたいです」と普段から思っていることを話しました。

スピーチが終わった後、会場の雰囲気が張り詰めたように静まりかえりました。
「この人はいったい何を言っているんだろう?」という参加者の視線を感じたんです。
当時、女子大学生の多くは、数年働いたら結婚して家庭に入るのが当たり前の価値観だったんです。
驚きましたね。

大学卒業後、貿易会社に就職しました。
その間に外務省に勤める日本人男性と結婚し、日本国籍を取得。
夫のリベリア赴任に同行するため会社を辞め、帰国後は広告会社で働き始めました。
本当に仕事が楽しくて面白くて、子どもを産んでも必ず仕事に復帰しようと思っていました。

30歳で娘を産んだ後、育児休暇に入りました。
ある日、まだ首もすわっていない娘が私の腕の中で安心した顔で寝ているのを見ていると、ふと「今の私にとって、娘を育てる以上に大事な仕事があるのだろうか」という想いが湧いてきました。
まるで啓示を受けたような鮮明な感覚でしたね。

もし仕事中に、娘に万が一のことがあったとしたら耐えられない。
自分を責め、きっと自殺してしまう、とすら思ったんです。

子育てに専念したい。
私は会社を辞め、専業主婦になる決意をしました。

2子育てを終えて、職を失った気分に

私は専業主婦を一つのキャリアと捉えました。
結婚する前は包丁を握ったこともなく家事が苦手だったので、仕事感覚でやろうと思ったんです。

まず、料理や掃除など家事の基本は本を読み込んで習得し、効率よくこなすために自分なりの型を作りました。
一日のはじめにその日の家事と予定を書き出してタイムテーブルを組み、その通りに実行したんです。

徹底的な合理化を図って家事をしたことで学校の行事や地域のボランティアにも参加できましたし、家族と過ごす時間も多く取れましたね。
仕事で培った時間管理やタスク管理の能力が役に立ちました。
友人たちが産後に仕事復帰していると聞いて、退職を悔やむこともありましたが、仕事として専業主婦に取り組むことで、自分の気持ちを奮い立たせていました。

専業主婦生活を始めて17年がたった頃、娘がタイのインターナショナルスクールを卒業して、アメリカの大学に入学しました。
私は初めて娘と離れて生活することになったんです。
娘がいなくなってから、私は喪失感に襲われ、鬱になりました。
いわば子育てが終わってしまったことで心にぽかんと穴があいてしまったんです。
職を失ったような気分でしたね。

「私はこれからいったい何をすればいいんだろう」。
そんなことを考えながら過ごしていたある日、娘が通っていた高校のカフェテリアから、「子どもの食事指導をする仕事をやってみないか」と誘いを受けました。
いわゆる「給食のおばちゃん」のような役割です。
せっかく誘われたのだし、時間もあったのでまずやってみようと、引き受けることにしました。

適切な食事の指導をしようと、私は生徒の名前と顔を覚えることから始めました。
クラス名簿に載っている低学年の700人分の名前と顔写真を見て覚えました。
それから子どもたちが食事をする様子を観察して好き嫌いを把握し、食事の指導をしていきました。

私の仕事ぶりはカフェテリアで評判となり、3ヶ月がたった頃、2,500人の生徒が使うカフェテリア全体をプロデュースしてほしいと提案されました。
私は悩みました。
近いうちに夫が転勤する可能性があり、夫についていくかどうかで気持ちが揺れていたんです。

気持ちが揺れる中、電話で娘と話していたとき、「私はアメリカの大学まで行かせてもらっているけど、将来結婚してママのような母親になるには、専業主婦になるしかないの?」と質問してきました。
その言葉を聞いたとき、私はハッとしました。
この問いにNOと答えるには、私自身のこれからの生き方で、専業主婦以外の生き方でも母親になれることを娘に示すしかないと思ったんです。

専業主婦になったからといって、キャリアが閉ざされるわけではない。
子育てを終えた後の専業主婦でも仕事に復帰できると私自身が証明する。
そのためには仕事をしないといけないと思ったんです。
私は一人タイに残り、カフェテリアのプロデュースを引き受けました。
その後、スタッフの教育やサービス、メニューの改革などを推し進め、3年で大きく売上げを伸ばすことができました。
やはり仕事は楽しいと思いましたね。

3娘のために、私は仕事を続けていく

タイでの仕事が落ち着いた2011年に日本に戻り、仕事を探しました。
しかし、日本ではタイでの実績を評価してくれる会社がなく、時給1,300円の電話受付のパート勤めから始めました。
娘と一緒に暮らしていた頃、娘に「専業主婦をしていなければ、ママはきっとバリバリ働いていたんだよね。私のためにごめんね」と言われたことがありました。

私は「そんなことはない」と証明するために、17年のブランクを埋めようと一生懸命働きました。
コピーでもホチキス止めでも、どんな業務も完璧を目指しました。
与えられた業務ができるようになったら、率先して他の仕事もこなしました。

実績を積み上げていくうち、ホテルにスカウトされ転職をしました。
3年間で副支配人になった後、別の外資系五つ星ラグジュアリーホテルに転職。
現在は大手企業でホスピタリティ担当として働いています。

私のキャリアを講演会で話すと、他の専業主婦の方から「専業主婦からのキャリア構築は薄井さんだからできたんですよ」と言われることがあります。
でも私は決して特別ではなく、他にも専業主婦からキャリアを積んできた人はたくさんいるんです。

そんな女性たちの存在をもっと知ってもらおうと、2020年に「シンシアのグッドモーニング」というプロジェクトを立ち上げました。
毎週日曜日の朝に私がインタビュアーとなり、私のように専業主婦からキャリアを積み上げてきた人に話を伺います。
インタビューを聞いた専業主婦のみなさんのヒントになればと思っています。

仕事の実績を積む中で17年のブランクは埋まりました。
埋めたどころか、私の17年の専業主婦の「仕事」がキャリア構築の土台になっていたことに気づきました。
かつて、娘に「ごめんね」と言われましたが、私はむしろ娘に感謝しています。
「あなたのママになってよかった」と。
私は娘に感謝し続けるために仕事を続けていきます。
娘が専業主婦になっても「ママのように生きればいいんだ」と思ってもらえるために。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年7月)のものです

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ご協力ありがとうございました
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