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着物があるから胸を張って生きている。
日本文化の素晴らしさを広めていきたい
【着付け講師/日本文化を体験できる施設を運営・角田遥奈】

目次
  1. 祖母の影響で着物の魅力を知る
  2. 日本文化を通して心の豊かさに貢献したい
  3. 着物を通じて自分の軸を見つけられた

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、着付け講師と日本文化を体験できる施設の運営を両立する角田遥奈さんをご紹介。

着物好きの祖母の影響で学生時代から着物を着ていた角田さん。着物を通じて日本文化の素晴らしさを国内外に広めようと、都内に日本文化を体験できる「NAGOMI HOUSE」を作りました。角田さんの日本文化への想いとは。お話を伺いました。

1祖母の影響で着物の魅力を知る

群馬県高崎市生まれです。
中学2年生のとき、家庭の事情で母親が仕事で東京に行くことになり、祖母と一緒に暮らし始めました。
祖母はよく着物を着て外出していました。
その姿を見て、着物ってカッコいいな、私も着られるようになればいいなと漠然と思っていました。

母は定期的に帰ってきてくれるのですが、たびたび祖母とケンカをしていました。
私の高校の進学費用の話でケンカをしたことも。
自分は家族の負担になっているんじゃないか。
自分の存在意義がわからず、勉強してもしょうがないと思い、不登校になった時期もありましたね。
自分の力で何もできない無力さを感じていました。
高校生になって中華料理店で初めてアルバイトをしてお金を稼いだとき、喜びを感じましたね。

高校卒業後、アルバイトをしながら勉強を重ね、一浪で東京の大学に合格できました。
合格を聞いた祖母は「仕送りはできないけど」と、餞別に自分の着物をプレゼントしてくれ、私に着付けのやり方を教えてくれました。
教わってみると、着物って思ったより簡単に着られるんだと驚きました。

大学の入学金や東京で暮らす準備費用が思ったよりかさみ、生活費が足りなくなってしまいました。
家は裕福ではないので、母や祖母には頼れません。
どうしようかと考えた結果、銀座のクラブでホステスとして働くことにしました。
大学入学の2週間前でした。
容姿に自信があるわけではないので、少しでも目立とうと着物を着て出勤しました。
19歳の女の子が着物を来てお店に立つ姿が珍しがられ、注目されましたね。
着物を着て外出するのが楽しくなっていきました。

ホステスの仕事に加え、土日はティッシュ配りをして生活費を稼いでいました。
しかし、入学直前、過労がたたって倒れました。
幸い命に別状はありませんでしたが、親には心配をかけてしまうので、倒れたことは言えませんでした。
このとき、初めて「死ぬかもしれない」と思いましたね。
元気になった後、「人間いつ死ぬかわからない。それなら楽しいことをやろう」と決意しました。

もっと若い女性に着物の魅力を知ってもらいたいと、週末は海外からの留学生と日本の女子大生を対象に着物を着て浅草を散策するイベントも主催しました。
着物を通じて国際交流が図られる様子を見て胸が熱くなりましたね。

2日本文化を通して心の豊かさに貢献したい

周りからは「着物好きな角田さん」と思われていました。
でも趣味で終わらせたくありませんでした。
将来は着物に関わるビジネスがしたいと、忙しい合間を縫って着付け教室に通い、師範の資格を取りました。
資格を活かすため、高級和服店での着付けや、中古の着物販売店の販売アルバイトを始めました。
ファッションを学ぼうと、ダブルスクールで専門学校にも通っていました。

生活費も学費も全て自分で稼いでいたので、周りの友達みたいに全く遊ぶヒマがありませんでした。
「私はなんでこんなに頑張っているんだろう。なんのために働いているんだろう」とむなしくなる瞬間もありました。
でも、考えてみれば学校に行けて、着物について勉強できて、やりたいことができている。
それで十分だ、と気持ちを持ち直すことができました。

大学卒業間近になり、教授の紹介で上海の大学で日本の着物文化をテーマに講演をしました。
上海を着物で歩いたら珍しがられ、とても注目されましたね。
外国で日本の着物を着ていると、誇らしい気分になりました。
漠然と日本だけでなく、世界にも着物文化を広めたいと思うようになりましたね。

着物に関わる仕事がしたいと、着物販売店に就職することにしました。
内定をもらった後は、入社前から販売の仕事をしていました。
しかし、お客さまの着付けを手伝っていたとき、販売よりも、着物に袖を通したときの高揚感や背筋が伸びる凛とした感覚を伝える仕事がしたいと気づいたんです。
私は内定を辞退し、フリーランスで出張着付け教室を始めました。
知り合いを通じ、着付けを学びたい人に向けてそのやり方を教えました。
自分で着付けができるようになったお客さまの姿を見るのがうれしかったですね。

ある夏の日、目黒の雅叙園で浴衣を着た茶道イベントを主催しました。
参加者が浴衣を着て行う茶道の所作が美しいと感じました。
そのとき、着物はあくまでも衣装で、着物を着て何かをすることが日本文化の表現では大切だと気づいたんです。
これをきっかけに、茶道や華道といった日本文化をもっと学びたいと思いました。

ある女性起業家の紹介でインド人の社長とランチをしたとき、社長から「インドで日本文化を紹介するフェスティバルが2週間後にあるんだけど、着物の先生として現地に来ないか」と誘われました。
インドに興味はなかったけど、せっかく誘われたので行ってみることにしました。

現地では2日間で100人のインド人に浴衣の着付けをし、フェスティバルの会場に送り出しました。
初めて着る日本の浴衣に、インドの方々はとても喜んでくれました。
インドの人たちと心の距離がぐっと近づいた気がして、日本文化の力を感じましたね。
もっと世界の人たちに日本の着物に触れてもらい、日本や日本文化の素晴らしさを知ってほしい。
日本文化の体験を通して世界中の人々の心の豊かさに貢献したいと強く思いました。
2019年、伝統文化の体験で人々に心の豊かさを伝え、平和に貢献するという理念のもと、「ピースカルチャー」という会社を立ち上げました。

帰国してから、都内の日本家屋を借りて着物や茶道、華道など10種類の日本文化を学べる「NAGOMI HOUSE」の運営を始めました。
テナントを探す中で、茶道や華道の先生がレッスンする場所がなくて困っているのを知ったので、いろいろな日本文化を一度に学べる施設があればいいと思ったんです。

3着物を通じて自分の軸を見つけられた

NAGOMI HOUSEでは、いろいろな日本文化を体験できます。
日本文化は本来、「茶道」「華道」「着物」と別々に切り離すものではないんです。
例えば茶道は本来、着物を着て、生け花のある茶室で行います。
総合的に体験することで、日本文化の理解を深めることができます。
外国人の方も多く来て下さっています。

今後は日本文化を通して二つのことを伝えていきたいと思っています。

一つは、精神性や奥深さといった日本人の気質です。
着物を着ると気持ちが引き締まり、日本人であることを再認識できます。
日本に誇りを持つきっかけ作りができればいいと思いますし、多くの人に着物を身近に感じてもらいたいですね。

もう一つは心の豊かさです。
今の日本は物質的に豊かですが、心の余裕をなくしている人が多いと感じます。
豊かさは、物質的なものだけでなく精神的なものもあります。
日本文化に触れると、心が豊かになるんです。
着物を着る、点てたお茶を頂く、毛筆で字を書く、など日本文化に触れることで、日本人としての自分を見つめ直すきっかけにもなりますし、生きていく上での支えになると思っています。

私は「着物」という自分の軸を見つけて、堂々と生きてきた自負があります。
家庭が裕福でないこと、学生のときにホステスとして働いていたことを白い目で見る人もいます。
心ない言葉をかけられることもありました。
でも、他の人が思う幸せと私の幸せは違います。
「その言葉を気にしても、本人は言ったことすら忘れてしまうし、私の人生に責任を持ってくれるわけでもない」と、気にしませんでした。

自分の人生を良くも悪くもするのは、自分自身だと思っています。
自分が良いと思えばそれがベストなんです。
これからも私は、自分を貫いて生きていこうと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年7月)のものです

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