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転勤族の妻でも働き続けたい。
夫と二人三脚で築いた私なりの働き方
【IT企業広報担当・野澤知子】

目次
  1. 寿退社し新潟へ…手放したキャリア
  2. 夫の転勤先でキャリアを構築するも…
  3. どんな人生になっても働くのはやめない

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、二児の母親として育児をしながら、都内のIT企業で働く野澤知子さんをご紹介。

どんな環境にあっても働き続けたいと語る野澤さんですが、これまでに3回、夫の転勤で仕事を手放しています。キャリア構築に何度も悩んだ野澤さんが得た気づきとは。お話を伺いました。

1寿退社し新潟へ…手放したキャリア

インテリアが好きだったので、仙台の大学を卒業した後、家具店に就職しました。
入社して1年がたった頃、実家の両親が兄妹の住む東京へ移住することになり、私も転職をして東京に行くことを決意。
転職エージェントにいろいろな職種を紹介してもらう中で、こんなにも選択肢があるんだと驚きました。
それと同時に、今の私のように、転職を通じて可能性が広がる人のサポートをしたいと思い、人材紹介会社に転職しました。

キャリアアドバイザーがしたかったのですが、入社してすぐの配属は求人広告の営業でした。
朝から晩まで仕事。
時間がいくらあっても足りず、終電がなくてタクシーで帰る日もありましたね。
でも早く一人前になりたかったので、必死に頑張りました。
入社して1年半がたった頃、念願かなって人材紹介の部署へ異動。
キャリアアドバイザーになれたときは本当にうれしかったですね。

2008年にリーマン・ショックが起き、世の中の景気が一気に悪くなりました。
人材紹介の仕事もだんだんと減っていき、私は退職勧告を受けました。
これからもっとたくさんの人をサポートしたかったのに…。
今までの時間はなんだったんだろうと思いました。
私のようにリストラにあっている人がいる一方で、会社に残っている人もいる。
私は必要とされる人ではなかったのかと、自信がなくなりました。

リストラされたことをどうしても親に報告できずにいました。
まずは兄に話そうと仕事の帰り道、兄に電話をしました。
電話をしたものの、30秒くらい声が詰まってしまいました。
話さないといけないのに、言葉が出てこないんです。
意を決して兄に「リストラにあった」と報告した瞬間、涙が出て、周りの目も気にせず泣きながら電話をしていました。
リストラを口にしたことで、仕事を失う喪失感を改めて味わいましたね。

会社の同僚が紹介してくれたITベンチャーに転職しました。
入社したとき、代表に「あなたのような人に入ってきてほしかったんです」と言われ、自分を必要としてくれることに喜びを感じました。
できることはなんでもしよう
と、広報と営業のアシスタントを兼任しました。
働くうちに広報の仕事に面白さを感じ、グルメサイトの運営会社に広報として転職しました。
居心地が良かった会社なので転職を悩みましたが、30歳までに何か専門的な仕事のスキルを身につけたくて、広報専任の会社で働きたかったんです。

転職してからは仕事もプライベートも充実し、同じ会社の5歳年下の男性と交際を始めました。
ある日、彼氏から「新潟に転勤になったので、結婚してほしい。一緒に新潟に来てくれないか」とプロポーズを受けました。
転職してまだ1年だったので、非常に悩みました。
仕事も軌道に乗ってきたし、30歳を迎えてキャリアもこれからという時期に東京での仕事を手放すのに抵抗があったんです。
リストラされたときに感じた仕事をなくす喪失感を再び味わうのが怖かったのもありました。
最終的に、彼の「新潟で僕を支えてほしい」という言葉に胸を打たれ、ついていくのを決めました。
でも、「女性の人生って結婚する男性で変わってしまうんだ」と内心は割り切れないままでしたね。

31歳のとき、寿退社し新潟に引っ越しました。
おなかの中には赤ちゃんがいました。

2夫の転勤先でキャリアを構築するも…

妊娠した大きなおなかを抱えながら、専業主婦として家事をこなしました。
夫は新天地で立ち上げたばかりの仕事で深夜まで帰って来ないので、孤独を感じることが多かったです。
ある日、家のソファーに座ってSNSを見たとき、東京に住む友人が出産を経て仕事に復帰したという投稿を見ました。
そのとき、帰る場所があっていいなと思いましたね。
仕事をしていない自分、名刺がない自分に不安と寂しさを感じました。

娘を出産して、気持ちや時間の余裕が、さらになくなりました。
平日は朝から深夜まで娘と2人きり。
娘の成長を間近で見られるのは幸せでしたが、ほぼ24時間つきっきりの毎日。
娘はしょっちゅう熱を出し、食品アレルギーもあったので、頻繁に病院に行っていました。
夜2時間ごとに目覚める娘の授乳をしながら、「本当にこれが私の選んだ人生なのか」と思うこともありましたね。
この時期に出会ったママ友には本当に助けてもらいました。

娘が1歳になった頃、仕事をしようと思いました。
これまで働く中で、たくさんの出会いと成長のチャンスがあったので、それと比較してしまい育児と家事だけの生活にモヤモヤを感じていました。
このままだと自分の気持ちが安定しないと気づいたんです。
早速、ハローワークに行って求人を探したのですが、子どもがいて夫の転勤の可能性がある中では、なかなか望む仕事がありませんでした。

ないなら作るしかないと思い、自分の経験と強みを活かせて人に喜ばれる仕事をしようと、フリーランスとして開業届を出しました。

新潟で仲良くなったママ友の紹介もあり、地元企業の広報業務など仕事は少しずつ増えていきました。
以前から興味があったライターにもチャレンジし、地域密着型のウェブマガジンの執筆もしました。

仕事が増えるにつれて気持ちにも余裕が出て、少しずつ自信を取り戻していきました。
2人目を妊娠してからも、体調を気遣いながら、家事・育児・仕事をこなしました。
毎日が充実していて、やっぱり仕事っていいなと思いましたね。

次女を出産し、新潟生活が2年ほど過ぎたある日、夫が「大阪の転勤が決まった」と私に報告しました。
転勤を覚悟していても、積み上げたものをまたゼロに戻すやり切れなさがありましたね。
頭では理解していても気持ちが追いつきませんでした。

夫と本音で対話を重ねました。
夫も転勤を承諾するまでに悩み、私の仕事がなくなることへの責任も感じたと話してくれました。
そのとき、3歳になったばかりの長女が「みんなで大阪に行く」と私を見てはっきり言いました。
自分の仕事のことだけでなく、子どもの気持ちもかなり気がかりだったので、結構な決め手になりました。
本音で話すことで少しずつ夫とのわだかまりも解け、最終的に家族で大阪に行くことにしました。
仕事はまた一からやればいいと前向きに捉えました。

大阪では企業広報の仕事をしていましたが、1年たった頃、再び夫の転勤が決まり、東京に戻ることになりました。
転勤はある程度覚悟していたので、新潟のときほど動揺はしませんでしたが、また一からキャリアも人間関係も作るんだと思いましたね。
せっかく入れた保育園を激戦地で探しなおすことも憂鬱でした。

でもせっかく東京に戻るのだから、もっと本腰を入れて働こうと思い、多くの会社の求人を見ました。
株式会社SHIFTというIT企業のオンライン面談で、入社後上司になるという女性マネージャーと仕事の話だけではなく雑談でも盛り上がりました。
この人と一緒に働いてみたいなと、入社を決めました。

3どんな人生になっても働くのはやめない

現在は株式会社SHIFTで広報として働いています。
ここ3〜4年で会社の規模が急拡大して年間1,000人以上を採用しているので、社外向けだけでなく社内コミュニケーションを円滑にする社内広報業務にも従事しています。

現在は、自分の気になったニュースをピックアップして全社員にメールで送る業務もしています。
忙しくてなかなかニュースを見る時間がない社員の役に立ちたいと、私が提案して始めました。
情報感度を上げるために、また、お客様先のトークで使う情報を仕入れるために、使ってもらえればと思ったんです。
「メールありがとうございます。ニュースが役立っています」と言われると、とてもうれしいですね。
もともと広報の通常業務としてやってきた情報収集が、こうした形で喜んでもらえると励みになります。

これまで自分の意思とは関係なく仕事を手放すことが多かったので、今はどんな仕事も会社に恩返しをするつもりで臨んでいます。
途切れ途切れなキャリアの私に役割を与えてくれることが本当にありがたいんです。
だからこそ、与えられた仕事だけでなく、創意工夫をしてみんなの役に立つ、喜ばれる仕事を心がけています。
仕事を通じて仲間が増えていくことも大きな喜びです。

私はどんな人生を歩むことになっても、働くのはやめないと決めています。
正社員でもフリーランスでも、夢中になれて人に喜ばれる仕事をしていきたいです。
喜んでくれる人がいる限りは仕事を続けていきたいですね。
私が楽しそうに働く姿を子どもに見せることはある種の教育だとも思っています。

積み上げてきた人間関係や仕事のキャリアが途切れ、自信がなくなることもありました。
でも、歩んできた道は全て自分で選んできたと納得しています。
選択で悩んだときは家族の幸せを第一に考えました。
子どもたちには何度も癒やしと勇気をもらいました。
もちろん仕事は好きです。
でも、家族の笑顔がなければ、仕事をする意味はありません。

夫には本当に感謝しています。
お互い本音で対話をして、仕事という私が大切にしているものにきちんと向き合ってくれました。
私が仕事をすることにとても理解を示してくれていますし、一番の支援者です。
夫だって結婚当初、これから家族を養っていくことや、転勤のたびに新天地で結果を出し続けることへのプレッシャーがあったはずです。

お互いがもつ理想の夫婦像は同じなはずなのに、変化に対応することに必死で、すれ違いも衝突もありました。
そのたびに夫が意識も行動も変えてくれたことは大きかったです。
夫がいなければ今の私はありません。
これからも夫と支え合っていきたいです。
私が働きつづける理由の一つには、夫がもし疲れたらいつでも休めるように、というのもあります。

これまで巡り会ってきた仕事は全ていいご縁に恵まれてきたと思います。
これから先、どんなキャリアを歩むかはわかりませんが、自分らしく働ける環境と役割を与えてくれる全ての人に感謝しながら、仕事にも子育てにも向き合って充実させていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年7月)のものです

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