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双極性障がいで故郷に戻り、起業。
自分史を通じて、認知症の人の心を豊かにする
【高齢者の自分史作り事業を展開・北林陽児】

目次
  1. なぜ自分が双極性障がいに
  2. 自分史は認知症の人を元気にする
  3. 自分の過去を振り返り、納得することが大切

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、高齢者の「自分史」を作る事業を展開する株式会社私の絵本カンパニーの代表・北林陽児さんをご紹介。

大学卒業後、精神的ストレスから3年で会社を辞め、「双極性障がいⅡ型(躁うつ病)」と診断されて故郷に戻った北林さん。今の仕事を始めるきっかけになったのは、祖母の自分史作りでした。どのようにして事業化に至ったのか。お話を伺いました。

1なぜ自分が双極性障がいに

中学・高校は成績優秀で生徒会長も務めていました。
部活でも活躍し、充実した学校生活を送りました。

順風満帆だった人生が、大学に入ってからうまくいかなくなりました。
大学の授業で、眠くなって起きていられない症状が出たんです。
試験のときも、終わりの時間まで座っていられないほど眠くなり、席を立ってしまうほどでした。
なんで眠くなってしまうんだろうと自分を責めましたが、原因がわからず、不真面目な性格なのではと不安を感じるようになりました。

その不安を解消するため、よく過去を振り返りましたね。
中学・高校のときうまくいっていた自分を思い出し、心を保っていました。
眠たくなってしまう状況とうまく付き合いながらなんとか大学を卒業し、都内の家電メーカーに就職しました。

就職してから、眠くなってしまう症状はさらにひどくなりました。
デスクワークをしていると眠ってしまい、仕事がなかなか進まないんです。
先輩や上司から叱責を受けましたね。
仕事ができないのと、寝てしまって申しわけない気持ちとが重なり、常に精神的に辛かったです。
精神的なストレスで抜けた自分の髪の毛が、デスクのキーボードに散乱するようになりました。

そんな状態で会議に臨むと、話の内容も全く入ってきません。
自社製品の名前もまともに覚えられず、飛び交う専門用語の意味も理解できませんでした。
理解しようと努力するのですが、どうしても無理でした。
就職してから3年、精神的に追い詰められ、退職の道を選びました。

父親が故郷の秋田で公認会計士をしていたので、私も税理士の資格を取って秋田に帰ろうと、専門学校に通い始めました。
しかし、お金を払って学校に入ったのに、授業に行きたくてもいけない、勉強ができない状態になりました。
原因もわからず、さすがにまずいと思い、心療内科で診てもらったところ、双極性障がいⅡ型(躁うつ病)と診断されました。
ショックでした。
なんでこんなことになってしまったんだろう、自分のどこに問題があったんだろう、と自問自答する日々。
もう東京を離れたほうがいいと思い、秋田に帰りました。

2自分史は認知症の人を元気にする

秋田に戻ってしばらくは、一人でブラブラしていました。
とはいえ、働かないととは思っていたので、ハローワークで仕事探しもしました。
でも、なかなかやりたいと思える仕事がなく、ないなら自分で作るしかないなと、起業を決意しました。

事業アイディアを考えました。
いくつか浮かんだ案の中から、高齢者の「自分史作り」を事業にしてみようと思いました。
自分史は半生の出来事を文章にして、本や冊子にまとめたものです。
秋田は高齢者の割合が多いので、ニーズがあると思ったんです。
多くの自分史は、文字ばかりで写真がなかったので、写真をたくさん使い、読みたくなる自分史を作ろうと思いました。
スポーツ雑誌の「Number」のようなイメージです。
まずは一冊トライアルで作ろうと思い、介護施設に入居していた私の祖母の自分史を作ることにしました。

祖母は認知症を患っていましたが、覚えている範囲で祖母の半生を聞き、祖母の写真を集めました。
そして、完成した自分史を祖母に渡しました。
自分史を渡した翌日、祖母の感想を聞こうと会いに行ったところ、祖母はいきいきとした表情で、大きく張りのある声で喋っていたんです。
また、祖母はそれまで昔のことばかり繰り返し話していましたが、自分史を読んでからは施設の職員や入居者の話をするようになりました。
祖母の心が現在に戻ってきた感覚でした。
さらに、祖母に聞き取った話以外の記憶も蘇っていて、私の大学の卒業式に来たときの話も、私より正確に話してくれたんです。

なぜ祖母にこんな変化が起きたのか気になって調べると、認知症の非薬物療法である「回想法」にたどり着きました。
自分の過去の体験を話すことで、認知症の症状を緩和する効果が得られるというものです。

認知症の人の半生を聞き、それを自分史にまとめれば、認知症の人たちが元気になるのではないか。
私は自分史作りを事業にしようと決意し、2013年「私の絵本カンパニー」を立ち上げました。
事業の功績が認められ、2014年にはグッドデザイン賞を受賞しました。
自分の事業が社会に貢献できてうれしかったですし、世の中に認められた気がしましたね。

3自分の過去を振り返り、納得することが大切

現在は株式会社私の絵本カンパニーの代表として、秋田市で高齢者支援に取り組んでいます。
高齢者の自宅や入居施設にお邪魔して、話を聞いて文章にまとめ、写真を配置して自分史を作っています。
認知症をもつ人のためにもっと自分たちのノウハウを提供しようと、2019年に『認知症の人と一緒につくるアルバム自分史』という本も出版しました。

自分史を作る上で大事なポイントは、本人が抱えている辛い思い出をどう扱うかです。
ある認知症をもつ女性の自分史を作ったとき、提供してくれた写真には4人の娘さんが写っていたんですが、女性は3人の話しかしないんです。
娘さんの一人に事情を聞いたところ、実は高校生のときに自殺をしていて、それから家族でタブーの話題になったといいます。

私は、自分史のレイアウトを工夫しました。
娘4人の子ども時代と大人時代のページをそれぞれ作ったんです。
子ども時代は4ページ、大人時代は3ページ、自殺という事実を見せないように配慮しました。
完成した自分史を読んだ女性はぽつりと、亡くなった娘の名前を出して「かわいそうだったね」と初めて口にしたそうです。
家族間で抱えていた長年の問題が解消したと、娘さんたちはとても感謝してくれました。

自分を受け入れるためには、表現することが必要だと思います。
表現をしないと、自分の感情を閉じ込めてしまい、精神的によくありません。

中には、悲しかった気持ちを受け止められず、モヤモヤとした感情を抱えて生きている人もいます。
自分史は、数十年生きてきてたまっているモヤモヤを「本」で表現しています。
感情が形になったことで、モヤモヤが解消された人をたくさん見てきました。
自分史作りは、自分の過去を振り返って心の中で一つ一つ納得していく作業だと思いますね。

今後は心理療法をもっと勉強して、臨床心理士の資格を取ろうと思っています。
認知症の緩和や介護業界の負担を減らしていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年6月)のものです

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