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苦手意識のあった新規事業にチャレンジ。
人の可能性を最大限に活かせるサービスを
【航空会社新規事業担当・大下眞央】

目次
  1. ぜん息で長期入院、両親に喜んでほしくて…
  2. 夢を追い、地元を離れて東京へ
  3. 人の可能性を最大限活かす仕組み作りを

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、航空会社で新規事業部で働く大下眞央さんをご紹介。

もともと0から1を生み出すのに苦手意識を感じていた大下さん。航空会社グループ内で発足した新規事業チームに参画したことをきっかけに、多くの人を幸せにする事業作りに魅力を感じるようになったそうです。なぜ「苦手」が「好き」に変わったのか。お話を伺いました。

1ぜん息で長期入院、両親に喜んでほしくて…

好奇心旺盛で、いろいろなことに挑戦するのが好きな子どもでした。
走るのが好きで、小学校低学年のときは陸上競技をしていました。
ただ、ぜん息の持病があって、入退院を繰り返していました。
負けず嫌いだったので、体育の授業では後先考えず一生懸命走った後、体調を崩して保健室にいることも多かったですね。
ぜん息のせいでみんなと同じことができないのが嫌でした。

小学4年生のとき、家で過ごしていたら、突然ぜん息の発作が起きて息ができなくなり、意識を失いました。
気がつくと、病院の集中治療室で管につながれていました。

両親は共働きでしたが、昼も夜もつきっきりで私を見守ってくれました。

峠を越えても、寝たきりの生活が続きました。
発作も定期的に起きるし、酸素吸入器で酸素を取り入れないと、生活もままなりません。
学校にも行けず、得意だった陸上もできない、みんなが普通にできることができなくて、悔しさと絶望感でいっぱいでしたね。
半年ほど治療を受け、退院することができしました。

退院してからは、心配をかけた両親に元気な姿をたくさん見せたいと思いました。
勉強を頑張ったり、生徒会長に立候補したり。
そんな私を見て両親が喜んでくれるのがうれしかったですね。

小学5年生のとき、客室乗務員になりたいと思いました。
地元の広島から飛行機に乗ったとき、きれいでカッコいい客室乗務員がバリバリ仕事をする姿に勇気をもらったんです。
私も人に勇気を与えられる存在になりたいと思いました。

大学は地元・広島県で英語の学びに力を入れている学校を選びました。
客室乗務員のように海外を飛び回れる仕事には英語が必要だと思っていたからです。
本当は大阪の私立大学に行きたかったのですが、両親と離れると、心配をかけてしまうと思い、断念しました。

2夢を追い、地元を離れて東京へ

就職活動を経て、地元の銀行と東京の航空会社に内定。
どちらに就職するか大きな決断を迫られました。

地元の銀行に就職すれば両親のもとを離れずに済む。
でも、小学生のときから憧れていた客室乗務員になるには航空会社に就職するしかありません。
夢や希望を届ける仕事にチャレンジしたいと思ったんです。

ぜん息で半年ほど入院してから、どうしたら両親が喜ぶかを考えながら生きてきました。
でも、ぜん息も少しずつ治ってきた今、これからは自分のためにチャレンジしたいと強く思ったんです。
このまま銀行に就職したら絶対に後悔するし、東京に行かなかったことを両親のせいにしてしまうとも思いましたね。

意を決して、両親に「東京に行きます」と報告しました。
「広島に残ってほしい」と言う両親を「自分の人生だから、自分で決めさせてほしいです」と説得し、納得してもらいました。
人生の大きな決断を、初めて自分のやりたいことを軸に選択しました。

最初は、グランドスタッフを担当しました。
3年勤めたら客室乗務員になる試験を受けられる仕組みだったので、寝る間も惜しんで働きました。
空港と家の往復で1日が終わる日々を過ごしました。
さらに知り合いのいない東京で、初めての一人暮らしだったので慣れない家事も体力的にきつかったですね。
それでも、仕事を覚えていくのは面白かったです。

グランドスタッフとして働くかたわら、航空会社のグループ内で発足した新規事業を考えるチームに参画しました。
さまざまな部署から立候補したメンバーが月に3日ほど集まり、アイデアを出し合い、事業を考えるんです。
旅と何かを掛けあわせることで、新しいビジネスが生まれていくのに新鮮味を感じましたね。

ある日、新規事業を作る部署が人を募集していると知り、この部署で働いてみたいと思いました。
グランドスタッフを始めてから4年がたち、いろいろな仕事を任され、やりがいを感じていましたが、新しいことに挑戦してみたくなったんです。

元々、新規事業のような0から1を生み出すことは苦手でした。
でも、本業のかたわら、新規事業チームで構想を考えるうちに、目の前のお客さまへのサービスだけでなく、もっと多くの人を幸せにする事業づくりに魅力を感じたんです。
早速、新規事業の企画書を出して応募、なんとメンバーに選ばれ、2018年4月から働くことになりました。

異動して最初の仕事は、自分の仕事の予定を決めることでした。
新規事業部では自分で企画を作ってブラッシュアップをしていく力が求められました。
これまでの仕事とのギャップに驚きましたね。
動かないと話にならないと思い、他社の社内起業家やベンチャーの経営者に会いにいき、自分の企画を見せてアドバイスをもらいました。
社外の人と話をしていると、自分にはない考えや価値観に出会うことができました。
人との出会いが、こんなに自分の視野を広げてくれるんだと実感しましたね。

異動してから数ヶ月がたち、不完全でもいいから企画してみようと「イノ旅」という体験型学習プログラムを提案しました。
高校生が日本のいろいろな地域を飛行機で旅しながら、未来につながるアイディアや商品を生み出すお手伝いをする企画です。
2019年にトライアル企画として採用され、実現に向けて動き出しました。

企画してから実現までは大変でした。
イノ旅は社外の関係者の力があってこそ成り立つ企画です。
さらに前例のない取り組みなので、私が方向性を示し続けなければいけません。
グランドスタッフとは全く違う大変さを痛感しましたね。
周りの協力のおかげで2019年4月、イノ旅のトライアルプログラムは無事に実施されました。
異動して自分の企画が初めて形になったので、うれしかったです。
0から1を作る新規事業の醍醐味を実感しましたね。

3人の可能性を最大限活かす仕組み作りを

現在はANAホールディングスの新規事業を開発する部署で、教育事業を軸にした企画を考えています。
イノ旅は2020年4月に本プログラムとして開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で中止を決断しました。
決断したとき、私は今まで何を頑張ってきたんだろうと落ち込みました。
昨日まで当たり前の世界が、当たり前じゃなくなっているのを痛感しましたね。
申し込んでくれた高校生には申し訳ない思いでいっぱいです。

「航空会社が何で教育事業をやるの?」という声もいただきます。
航空会社はこれから、お客さまを運ぶだけでなく、異文化や時間、空間をつなぐワープのような存在であるべきだと思います。
今までの修学旅行のような画一的な旅行商品の枠を超え、飛行機を使って子どもたちの好奇心をマッチングする商品を提供することは、教育の新しい形になる可能性を秘めていると考えます。

今私は人生を通して、人の可能性を最大限活かすサービスや仕組みを作っていきたいと思っています。
人が悩んでいて大変なときに、その人に寄り添えるように、現在の自分に置かれた状況でできることは全てやるつもりです。

新しいものは正解がありません。
正解がない中で生み出した新しい企画が世の中でどんな評価を受けるのかは不安もあります。
そんな中でも、新しいものを提供し続け、価値を生み出していく。
この流れをライフワークにしていければと思っています。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年6月)のものです

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