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大手企業のダメ営業マンが見つけた強み。
産業医になるために30歳で医学部へ
【産業医・尾林誉史】

目次
  1. 自分中心から調整役への転換
  2. 人の話をとことん聞ける強み
  3. いきいき働くために産業医の活用を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、産業医の尾林誉史さんをご紹介。

新卒で大手企業に就職するものの希望ではない営業に配属され、成果をあげられずにいた尾林さん。異動を機に「人の話をとことん聞ける」のが強みだと気づき、産業医になるべく退職、30歳で医大に入り直しました。尾林さんの産業医への想いとは。お話を伺いました。

1自分中心から調整役への転換

子どもの頃は優等生タイプでした。
勉強もスポーツも上位で、運動会ではリレーのアンカーを務め、生徒会の会長も経験しました。
なんでもそつなくこなしていたので、「なんで周りはこんなこともできないんだろう」と、不思議に思っていました。
常に上から目線で、友達にもあまり気を使わず、自己中心的な態度をとっていましたね。

中学校に進学すると、そんな自己中心的な態度は通用しなくなりました。
自分より勉強や運動ができる人や自己主張の強い人が、他の小学校からやってきたんです。

入学してすぐ、僕の偉そうな態度に怒ったやんちゃな同級生にボコボコに殴られました。
自分の思い通りにならないこともある、変わらないといけない、そう思いました。

それからは、自分がやりたいことよりも、周りの期待に応える選択をするようになりました。
期待に応えると、受け入れてもらえるんです。
そうやって、自分のポジションを少しずつ築いていきました。

みんなそれぞれの立場があって、好きなことができて、個性がより良い方向に向かっていくように。
みんなが楽しく学校生活をおくるための調整役は、充実感がありました。

大学では化学の研究室に入りました。
親がそれを望んでいたからです。
3年生の夏、就職するか大学院に行くか、選択を迫られました。
親の期待に応えるには大学院に行くのが適切だと思ったのですが、それでも就職活動はしてみようと、人材サービスを展開する大手企業の面接に行きました。

面接は無事終わりましたが、内心ぼろぼろでした。
「これまで何を頑張ってきたの?」「将来何がしたいの?」と聞かれても、全然うまく答えられなかったんです。
それまでみんなの考えや意見をくみ取って物事を丸く収めるばかりで、自分の考えや意見を表現してきませんでした。
今の自分には面接官の問いに答えられる熱い想いがない、と強く感じましたね。
それと同時にこの会社に入って、熱い想いを持って働きたいとも思いました。

2人の話をとことん聞ける強み

大変なイメージがあったので営業以外の部署を希望したのですが、なんと配属先は営業。
モチベーションもスキルもなかなか上がりません。
アポを取って営業に行っても、相手先ではまともに取り合ってもらえませんでした。
全く売れなかったし、内心では「僕も売りたくないよ」と思っていました。
毎日ふてくされていて、いつも辞めたい辞めたいと思っていました。
でも、ここで辞めたらただの負け犬だとも思っていて踏みとどまっていました。
鬱々とした気分で過ごしているうちに、気づけば社内でダメ人間の代表格のような存在になっていきました。

4年目から企画の部署に配属となりました。
部署が変われば自分の新しい可能性が見つかるかもしれない。
異動を機に、自分の強みや得意なことを本気で探そうと決意しました。

ある日、「ちょっと話を聞いてくれ」と同僚に呼ばれ、仕事の相談や悩みをずっと聞く機会がありました。
数時間話した後、同僚は「スッキリした。ありがとう」と感謝して帰っていきました。
話をずっと聞いていただけなのに、なんで感謝されるんだろうと思いました。

他の同僚や先輩に「話を聞いてほしい」と言われれば、嫌な顔一つせずにとことん話を聞きました。
夜通しで話を聞くこともありましたね。
これを繰り返していくうち、「人の話を聞くのに苦労は感じない。僕の強みは人の話をとことん聞けることだ」と気づいたんです。
会社の売上には貢献してないけど、同僚たちの役に立っているなと実感して、わずかに自信が持てました。

後輩のメンタルの調子が悪くなって、産業医との面談に同行したことがありました。
産業医は、会社と契約し、健康診断や社員からの健康相談を受ける医師で、休職の判断などもします。
産業医がちゃんと後輩と向き合って、適切なアドバイスをくれて、後輩にとって有意義な時間になるだろうと思っていました。
しかし、先生は後輩と簡単なやり取りを数分しただけで、「じゃあ休職しましょうか」と言ったんです。
なんでもっと後輩の話を聞いてあげないのか。

期待が大きかった分、このやり取りに大きな衝撃を受けました。

腑に落ちなくて後日、一人で産業医に話を聞きました。
「産業医の面談ってあんなものなんですか?」と聞くと、先生は「ドクターの資格があれば、比較的簡単になれる。私は内科医で、産業医は専門でない。片手間のようなもの」と答えました。

その言葉を聞いたとき、雷に打たれたような感覚でした。
産業医はそんないい加減なものなのかと。
直感的に僕は産業医がやりたいと思いました。
産業医は今後も世の中に求められるはず。
メンタルを崩した人の人生を左右する最後の砦のような存在になると思ったんです。
僕が産業医になったら、たくさん話を聞いて、こうしたいというビジョンまで浮かびました。
それから程なく、会社に退職願を出しました。
30歳で医学部を目指すのに、迷いは1ミリもありませんでした。

会社を辞めてからは、母校の図書館で勉強しました。
当初はセンター試験を目指していましたが、いくつかの大学で3年次編入もできることを知り、照準を切り替えました。
倍率は30倍ほどでしたが、無事に合格。
退職から数ヶ月での合格だったので、奇跡的な出来事でした。

大学では「産業医になりたいんです」と話しても、先生たちの反応は冷ややかでした。
「楽だからね」と言われることもありましたね。
産業医は、同業者の中でも価値が一段低いんだなと痛感しました。

大学卒業後、精神科の技術を身に付けるため、都立の精神科病院で2年ほど研修を受け、2013年に晴れて精神科をバックグラウンドとした産業医としてのキャリアをスタートしました。

実際、現場を見ても、多くの産業医が本業でなく“バイト感覚”で勤務している印象。
面談対象者の履歴書や人柄、バックグラウンドを把握せず、たった数分の面談で休職や復職を決めてしまっていました。

これまでの自分は周りの期待に応えるばかりでしたが、産業医になって初めて「こうしたい」と思うものにたどり着きました。

3いきいき働くために産業医の活用を

現在は10社ほどの産業医を務めています。

僕は面談を大切にしています。
産業医の中で、最も面談を重視しているという自負もあります。
人間には話したい、聴いてもらいたいという本能があります。
面談相手と本気で真摯に向き合い、愚直に話を聞くのがメンタルケアでは大切です。
なんでも話せる場を作って、気持ちよく話してもらって、心を楽にしてあげて、次の日から楽に働けるようになってくれれば、めちゃくちゃうれしいです。

今後は、産業医を「従業員が楽しく働くための助っ人」と捉えてもらえるよう、イメージを変えていきたいです。
そのために企業側、従業員側の両面にアプローチし続けます。

企業は従業員のメンタルケアを後回しにしがちです。
しかし、メンタルケアによって従業員が、気持ち良く働いて能力を発揮すれば、会社も元気になり、売上も上がるはずです。
従業員のメンタルケアへの投資が当たり前になるべく尽力したいと思います。

また、特に産業医を雇う義務のない中小企業にも、産業医の価値を伝えていきたいです。
中小企業の現場は労働時間が長くなりやすいので、メンタルケアが非常に重要なんです。

産業医と面談するとメンタルがやばいと周りから思われると邪推して、面談を受けたがらない従業員もいます。
だからこそ、僕は常に面談に対する敷居を下げるよう意識しています。
白衣を着ないで「よろず相談請負人」の役割でオフィスを訪問することもあります。
皆さんがいきいき働く手段として、産業医をもっと気軽に頼ってほしいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年6月)のものです

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