シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

自分の手で一から作り上げたい。
48歳で退職、52歳でカフェを開くまで
【浅煎りコーヒー専門のカフェオーナー/ロースター/バリスタ・近藤剛】

目次
  1. 好きになったら徹底的に掘り下げる
  2. 全部一からやってみたい!48歳で退職
  3. 56歳でも「なんとかなるだろう」

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、都内で浅煎りコーヒー専門のカフェを経営する近藤剛さんをご紹介。

もともとは大手企業に勤めていた近藤さん。マネジメントを任され、一から何かに取り組んだり、新しいことに挑戦する機会が減り、身の振り方を考え始めます。48歳で会社を辞め、好きな浅煎りコーヒーを広めるためにカフェを52歳でオープンしました。40代からのチャレンジに不安はなかったのでしょうか。お話を伺いました。

1好きになったら徹底的に掘り下げる

幼い頃から好奇心旺盛で、新しいもの好きでした。
ちょっとでも興味が湧いたら、なんでも見て触れて体験し、好きになったものは徹底的に掘り下げていきました。
例えば、あるバンドを好きになったら、そのメンバーが参加している他のバンドの曲も聞き、さらにそのバンドメンバーが参加する他のバンドの曲まで聞いてましたね。
自分が体験していないものの中に、好きなものがあるかもしれないと思うのが嫌だったんです。

小学校や中学校では算数や数学が得意で大学も理数系の学部に進みました。
本当は読書や絵画や音楽が好きでしたが、理数系が得意なんだからと、なんとなく流されてしまいました。
しかし、就職活動が始まると自分の本当にやりたいことはなんだろうと考えるように。
流されるままに人生を過ごしていいのかと思ったんです。

悩んだ末、大学卒業後は理系研究者の道には進まず、小売りや外食、不動産、金融、エンタメなど幅広い領域でサービスを展開する巨大企業グループに就職しました。
さまざまな事業を展開しているので、何か面白い仕事ができるかもしれないと思ったのと、何年か仕事をすれば会社が留学をさせてくれるのを知ったからです。
学生時代はなんとなく流されて生きてきたので、初めてきちんと考えて選んだ進路でした。

就職して配属されたのは、スーパーマーケットの財務部門でした。
今まで全く興味を持ったことがない分野だったので、やっていけるか戸惑いました。
でも、考えるうちに、最初から興味があることを仕事にしている人は少ないと思い、与えられた財務の仕事をどう面白くしていくかを考えるようになりました。

数年後、MBA(経営学修士)の資格を取るため、アメリカのビジネススクールに留学しました。
授業は大変でしたね。
日本の学校と違い、テストでいい点数を取るだけでは評価に結びつかないんです。
授業やグループワークで自分の考えを発言し、授業に貢献できないと、点数をもらえないんです。

私のような日本人は質問や発言に躊躇していましたが、外国人はとにかく積極的に発言していました。
その光景を見て、発言しないと、その場に存在しないのと一緒だと思いました。
留学していた2年間でかなり積極的な性格になりましたね。
発言のチャンスを逃すのはもったいない、恥ずかしがっていてもしょうがない、自分からアクションを起こしたほうが圧倒的に人生で得だという考えになりました。

2全部一からやってみたい!48歳で退職

MBAを取得後、会社に戻りました。
スクールで身につけた積極性を元に発言しても、なかなか社内で意見が尊重されず、会社に不満を感じるようになりました。
当時はバブル景気で、日本の大手企業が海外のビジネススクールに留学させる事例が多かったのですが、MBAの資格を取得して戻った人材を会社が活かしきれずにいました。
私も留学経験を活かせるような企業に行きたいと、帰国して1年後に退職して外資系の金融機関に転職しました。

転職先では財務・オペレーションの業務に携わりました。
それまでと全く違う世界でしたが、社会人に成り立ての頃の気持ちで試行錯誤しながら業務に取り組みました。
外資系なので能力主義・成果主義の面が強く、業務ごとにゴール設定があって、そこに向けてチーム一丸となって取り組むのが面白かったですね。

転職して10年ほどたった頃、人生の次のステージを考えるようになりました。
会社に不満はなく、仕事も面白かったです。
しかし、キャリアを重ねて組織のマネジメントを任されるにつれ、一から何かに取り組むことが少なくなり、全部を自分で一からやってみたい、新しいことに取り組んでみたいという思いが湧いてきたんです。
会社員をしている限りはそれができないと、48歳のときに会社を辞めました。
同時に離婚も経験し、これからの人生に不安もありましたが、「失うものはないので、なんとかなるだろう」と思っていましたね。

自分は何がやりたいんだろうと考えたときに、たどり着いたのが「食」でした。
元々食べるのが大好きで、仕事や旅行で世界各地のおいしいものを食べることがライフワークだったんです。
経営の知識はあるので、新しいことを始めるなら食に関する商売がいいなと思いました。

とはいえ、50歳を過ぎてシェフになってレストランを開くのも大変だし、どうしようかと考えるうちに、浮かんだのが「カフェ」でした。
私のように音楽やアートが好きな人同士が集まる情報交換の場があればいいなと思ったんです。
カフェと言えばおいしいコーヒーだと、カフェとコーヒーのリサーチを始めました。

コーヒーを調べるうちに、「浅煎りコーヒー」に関心を持つようになりました。
コーヒーの主流は深煎りで、私もそれまで深煎りを好んで飲んでいました。
しかし、多くの浅煎りを飲み比べてみると豆ごとのフルーティーな酸味の違いを楽しめるようになったんです。
浅煎りコーヒーの魅力をもっと多くの人に広めたいという気持ちがどんどん高まっていきました。

52歳で、交際していた女性と、再婚しました。
一緒に暮らすなら家を探さないといけないなと考えていた矢先、彼女が「自宅とカフェを一緒にしたらどう?」と提案してくれたんです。
それは面白いと早速、物件探しを始めました。

1階をカフェ、2階が自宅になるような物件を探したのですが、なかなか見つかりませんでした。
でも、妥協はしたくなかったので、リノベーションを前提に10軒ほど探してようやくお目当ての物件を見つけました。
しかし、今度はリノベーション費用が予想を大幅に超えることがわかり、カフェの事業計画書を作って金策に走りました。
物件一つ探すにも、こんなに苦労するのかと思いましたが、一から何かを作り上げている充実感がありましたね。

念願かなって2016年、52歳のときに浅煎りコーヒー専門の自宅兼カフェを都内にオープンさせました。
同年に、子どもが生まれました。
前の奥さんとの間には子どもがいなかったので、私にとっては初めての子どもです。
カフェと子どもが同時に誕生するのには運命を感じましたね。

356歳でも「なんとかなるだろう」

現在は、浅煎りコーヒー専門のカフェ「FINETIME COFFEE ROASTERS」のオーナーを務めています。
よりおいしいコーヒーを提供しようと焙煎に力を入れていて、2019年に行われた焙煎技術を競う大会では、世界チャンピオンにもなりました。

私は2つの目標を掲げています。
1つ目は浅煎りコーヒーを広めることです。
会社を辞めてからしばらく、目的を決めずに遊んでいた時期があったのですが、楽しかったのは最初だけで、遊ぶだけの生活にすぐに飽きてしまいました。
なぜだろうと考えたところ、人間は人の役に立たないと生きている実感がないとわかったんです。
浅煎りコーヒーを飲んで、「おいしいな」と自分だけの知識としてとどめてはいけないと思ったんです。

そんな思いから、カフェで出す浅煎りコーヒーは自分の持っている知識の全てを出しています。
自分が選んだ生豆を仕入れて焙煎し、コーヒーを抽出してお客さまに提供しています。
ふらっと来たお客さまが浅煎りコーヒーを飲んで、「こんなにおいしかったんだ」と喜んでもらえると、とてもうれしいですね。

2つ目は、お客さま同士の交流を生み出すことです。
私は元々、人としゃべるのが好きで、畑違いの分野の人の話を聞くのが好きなんです。
自分の知らない話や考えを聞くことで、知識や見識が広がっていきます。

カフェは元々コーヒーを飲む場所だけなく、お客さん同士の情報交換の場でもあります。
今後は、浅煎りコーヒーを通じてカフェに来たお客さま同士の輪が広がってほしいと思います。

48歳で会社を辞めたときは、まさか自分がカフェのオーナーになって、再婚して、子どもがいるとは考えもしませんでした。
世間一般の56歳と比べると不安定な生き方なのかもしれません。
でも、人生で起きたことに対し、くよくよしたり、引きずったりしても何も生まれません。
常に先のことを考え、「なんとかなるんだ」とポジティブで生きていくことが大切だと思いますね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年5月)のものです

この記事は役に立ちましたか?
はい いいえ
ご協力ありがとうございました
Related Stories

関連ストーリー

この記事を読んでいる人は、こんな記事も読んでいます
シェアする
Twitterでシェア Facebookでシェア

マイマガジン

旬な情報をお届け!随時、新規ジャンル拡充中!