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自分の人生をちゃんと生きたい。
35歳を過ぎてから、経験を糧に見つけた「魂を燃やす仕事」
【女性の健康課題を支える企業経営者・西部沙緒里】

目次
  1. やりたいことがない、強烈なコンプレックス
  2. 人生を生きた証を作りたい
  3. 「ネガティブ」のパラダイムを変えていきたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、働く女性の心と体をサポートする株式会社ライフサカスの代表・西部沙緒里さんをご紹介。

やりたいことが見つからず、自分の人生をちゃんと生きられていないのをコンプレックスに思っていた西部さん。どのように起業への道を歩んだのでしょうか?お話を伺いました。

1やりたいことがない、強烈なコンプレックス

小さい頃から見た目にコンプレックスを抱えていました。
小中学校では見た目をいじられて、男子からいじめられました。
このままだと恋愛ができないのではという気持ちから勉強で見返そうと思いました。
勉強に打ち込んだおかげで、学校の成績は上位でしたが、勉強以外に打ち込める趣味がなかなか見つかりませんでした。
昼夜を忘れて何かに打ち込みたい思いは、ずっと持ち続けていましたね。

地元の高校を卒業後、都内の有名私立大学へ進学しました。
有名な大学に入って何となく満たされた気持ちになりましたが、それは一瞬だけ。
のらりくらりと過ごし、サークルや部活などで日々を費やしていました。
授業もそれなりにやって、それなりの評価をもらっていました。
ただ、こんな感じでいいのかとは、うっすらと思っていました。

迎えた就職活動、内定は決まったものの、自分の中でビジョンがうまく描けず、辞退してしまいました。

やりたいことがない自分に強烈な劣等感を持つようになりました。
在学中にITベンチャーを起業したり、好きなスポーツに打ち込んで活躍したりする友人たちを見て、人生に魂を込めているなと感じ、同時に嫉妬しました。
考える時間を作らないようにアルバイトに打ち込んでいましたが、やりたいことを探せずにいました。

大学4年生のとき、アメリカに留学しました。
内定を辞退した上に完全燃焼しきれない学生生活の中で「本当に今のままでいいのか」と思い、衝動的にした行動でした。
1年後、留学から帰ってきましたが、自分がやりたいこと、打ち込めることは見つかっていませんでした。
結局、もう一度就職活動をして大手広告代理店に入りました。
こんな自分を受け入れてくれて、将来の可能性が広がりそうな環境を選んだ結果でした。

仕事は激務でした。
ほぼ毎日深夜まで仕事して、翌日も朝から出勤するサイクルが続いたこともありました。

目の前の仕事を頑張っていくうちに、だんだん心が病んでいきました。
どんなに仕事に時間をささげても、魂を燃やせていない感覚がずっとあったんです。
自分は一体何がしたいんだろう。
全力で取り組めておらず、強烈な悔しさを感じました。

2人生を生きた証を作りたい

社会人6、7年目になる頃、激務による心労で会社に行けなくなり、休職しました。
休みの期間はひたすら布団にこもり、とにかく外に出たくない、人と会いたくない、会社の人間と連絡を取りたくないと思っていました。
そんな状態でしたが、気分の良いときに公園に行ったり、キャリアを棚卸しするワークショップに参加したり、少しずつ元気を取り戻していきました。
職場のサポートもあって、半年後には仕事に復帰しました。

戻ってからは部署異動となり、最前線の忙しい現場から、比較的自分のペースで業務をコントロールできる現場に配属されました。
そこからは、休日を利用してNPO支援のプロボノ(社会貢献活動)に力を入れるようになりました。
いくつかの社外活動に参加しつつ、パラレルワークとして地域活性化をサポートする団体を立ち上げたり、社内の別部署が主導するソーシャルデザインのプロジェクトに参画したりして、将来、魂を燃やせる場所を見つけようと思ったんです。

一連のプロボノ活動は、自分の取り組みが形になるのでやりがいがありましたし、やりたいことが見つかりそうな感じがして、それが自信にもなりました。

でも、まだ自分の魂を燃やして生きていない。
そんな感情がどんどん溢れてきて、もう見逃せなくなっていました。
30年以上生きてきたのに、まだ自分のやりたいことが見つからない…。
そんな人生に価値がないとすら思いました。
何かを変えないと、本当に自分が求める人生は生きられない。
自分の人生を生きた証を作りたい。
そんな焦りから活動の幅をどんどん広げていきました。

会社に勤めながらプロボノを続けていた35歳のある日、左胸にしこりが見つかりました。
精密検査の結果、がんと診断されました。
「人生終わった」と思いました。
まだ自分の魂を燃やせる場所を見つけていないのに、そのまま終わってしまうのか、と。

幸い発見が早かったので、がん細胞を広範囲に切り取る手術を行いました。
その後、経過観察も含めて、普段の日常に戻るまでには1年ほどかかりました。

結婚したときから、「子どもが欲しい」とは思っていました。
女性特有のがんになると、妊娠に支障が出る可能性があるのを知っていたので、自分の状態を知るために不妊外来にかかりました。
すると、身体状況や年齢を総合的に加味して、子どもを授かる可能性は低いと医師から言われたんです。
がん宣告は生きてきた人生を否定された気分でしたが、不妊宣告は女性としての「性」を否定された気分でした。

そこからは、がんの治療と並行して不妊治療を始めました。
肉体的な負担がつらかったですし、精神的に浮き沈みが激しく、治療と仕事の両立も難しくて苦しかったです。
このとき、私と同じように闘病を経験している人や、不妊治療で悩んでいる人に向け、当事者の私が手を差し伸べるべきではと思ったんです。
これが私の求めていた魂の燃やせる仕事かもしれないと、38歳のとき起業しました。

2016年、株式会社ライフサカスという会社を作り、不妊、産む、産まないをテーマに、女性の多様な生き方を伝えるウェブメディア「UMU」を立ち上げました。
私自身、当初は不妊の事実を公表することに抵抗があり、つらい思いをしました。
ですが、みんなはどうなんだろう?と周囲に少しずつ実体験を話し始めてみたら、「実は今不妊治療している」「私もそうだった」など想像をはるかに超えるたくさんの反響をいただきました。
ならばそうした声を集めて、リアルな経験値を共有しあえるメディアを作ればいいと考えたんです。

3「ネガティブ」のパラダイムを変えていきたい

現在はライフサカスの代表として、UMUの運営のほか、働く女性の健康課題(妊娠や不妊・病気療養など)と仕事の両立支援の研修・講演活動や、複数企業の事業開発のアドバイザリー、1on1でのメンタリング・コーチングなどを事業として行っています。

人生は経験値が多ければ多いほど、濃くなると思います。
楽しい経験だけでなく、つらい経験も含め、通り過ぎてみればネタになります。
起きたことを「なかったこと」にできないし、時間も巻き戻せないけれど、そうしたつらい経験や、そこから得る傷や毒も、時がたてばいずれ原動力に変えることができる、と身をもって知りました。

そうして、強いポジティブと強いネガティブを足した人生の総和が大きいほうが、味わい深い人生につながると思うんです。

この社会は、ネガティブな経験を発信するのに抵抗がある人が多いです。
私自身、不妊治療だけでなく、がんの公表もしばらくできませんでした。
周囲を心配させ、友達から距離を置かれるのが怖かったんです。

今でも正直「がんにならなくて済むなら、なりたくなかった」と思っています。
でも、半生を通じて抱えてきた不完全燃焼感や、消えてしまいたいと思った自分にふたをする人生からも決別できましたし、生きやすくなりましたね。

今後は人生の問題にぶつかった人が、くじけて精神的な死を選ぶのではなく、起死回生を経て美しい花を咲かせていくのをサポートしていきたいです。
会社名の「ライフサカス(LIFE CIRCUS)」は、「人生を咲かせる」「問題や挫折、苦境をサーカスのようにカラフルに変えていく」というメッセージがあります。

私は人生における「ネガティブ」という言葉のパラダイムを変えていきたいと思っています。
健康や生殖にまつわるネガティブと捉えられがちな経験やその後の人生を発信していけば、その当人の経験は、他の人が困難を越えていく際の糧として昇華されていきます。
そうした経験を晴れ晴れと語れる当事者が増え、世の中にも還元されていく。
そんなサイクルを、これからも社会に生み出していきたいですね。

35歳を過ぎるまでやりたいことがないと悩み、一時期は「そんな人生に価値がない」と考えるほど極端な思考に陥っていた私の半生。
しかし振り返れば、もがいていた時間は無駄ではなかった、むしろ貴重だったと思います。
生きていれば再び悩み、苦しむ時期が来る。
そのときにはまた、何度でも起き上がりたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年5月)のものです

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