1ボードゲームに熱中した学生時代
6歳のとき、両親がクリスマスプレゼントでボードゲームの「人生ゲーム」を買ってくれました。
両親は僕がテレビゲームで遊ぶのを基本的にあまり良く思っていなかったので、ずっと人生ゲームで遊んでいました。
兄や妹と遊ぶこともあれば、1人で遊ぶこともありました。
マス目に書かれたイベントを覚えてしまうほど、人生ゲームをやりつくしましたね。
中学1年生のとき、祖父が買ってくれたマンガ雑誌「コロコロコミック」の中に「ボードゲーム特集」が2ページにわたって掲載されていました。
その中で紹介されていた「カルカソンヌ」というドイツのボードゲームに興味が湧いたんです。
通常のボードゲームはボードの形が決まっているのですが、カルカソンヌはゲームが進んでいくと、ボードの形が変わり、どんどんボードが広がっていく仕組みになっていたんです。
それなりにオセロなどのボードゲームはやっていたのですが、ボードの形が変わるゲームには出会ったことがなかったので、衝撃を受けました。
今までにない宝物を見つけたような感覚でしたね。
両親にお願いしてカルカソンヌを買ってもらいました。
カルカソンヌを買ったら、そのお店のカタログがついてきて、いろいろなボードゲームがあることを知り、とてもワクワクしましたね。
カルカソンヌをきっかけに、さらにボードボームにのめり込んでいきました。
もらっていたお小遣いのほとんどをボードゲームの購入費用に充てていたほどです。
ボードゲーム好きが作ったホームページに書かれたオススメのボードゲームも見て研究していましたね。
その結果、高校生のときには数百個のボードゲームを所有するほどになっていました。
僕にとって、ボードゲームの魅力は一緒に遊ぶ人との空間。
珍しいボードゲームを持っていって感動してもらうことや、みんなが楽しく遊べるゲームの仕組みやシステムを研究することが好きだったんです。
ボードゲームへの愛が深まる一方で、友達にボードゲームが好きだと話しても理解されないだろうなと思っていました。
友達のほとんどはテレビゲームで遊んでいて、ボードゲーム好きと知られたら、友達から変なやつと思われるんじゃないかと思っていました。
ボードゲーム好きをあまり表に出すことはなかったですね。
大学生になる頃には、ボードゲームに関わる仕事ができればいいなと思うようになりました。
でも、ボードゲーム自体が日本ではマニアックな存在だったので、ボードゲームで仕事をすることにイメージが湧きませんでした。
2死なないだろうから挑戦してみよう
大学3年生のとき、インターネット上のボードゲーム好きが集まるコミュニティで知り合った年上の男性に誘われ、ドイツで開かれる世界最大のボードゲームの祭典に行くことになりました。
僕にとっては人生で初めての海外旅行でした。
男性とは現地集合することになっていたので、事前に教えてもらっていた通りに集合場所の駅に向かいました。
しかし、その駅は無人駅でした。
「あれ、ここじゃないな」と直感で思いました。
ただ、初の海外で準備不足だったので、持っている携帯電話も海外ではつながらない、地図も持っていない、外の気温も低くて寒い、宿泊先も分からない、そんな状態に陥ってしまいました。
「動かないと死ぬ」と直感した僕は、何人ものドイツ人に片言の英語で話しかけました。
なかなか相手にされない中、ある高齢の女性が優しく場所を教えてくれて、なんとか集合場所に着き、男性と会うことができました。
命拾いしたと思いました。
ボードゲームの祭典は、僕だけでなく、会場のみんながとても楽しんでいる様子でした。
日本でもこんな日常があればいいな、広めるための活動をしたいなと思いました。
現地で遭難しかけた経験もあって、「日本は携帯電話も言葉も通じる。何をしても死なないだろうから挑戦しよう」と思ったんです。
帰国してから早速、行動に移しました。
本を読み漁り、経営者が参加するセミナーにも参加しました。
そんな中で、ある会社経営者からアドバイスを受けて、ボードゲームの普及に努めるため「ボードゲームソムリエ」と名乗り始めました。
ありとあらゆるところにボードゲームを持参し、いろいろな人にボードゲームで遊んでもらいました。
起業家が集まるイベントにも行きましたし、老人ホームで高齢者の方にボードゲームを体験してもらったこともありましたね。
一方で、持参したボードゲームで盛り上がっているときに「今度はボードだけ貸してほしいんだけど」と言われたことがありました。
その方に悪気はなかったと思いますが、僕がいなくてもゲームさえあればいいんだなと思ってショックを受けました。
僕の存在価値を否定されたような気がして悔しかったんです。
そこから僕は、ボードゲームを初めて遊ぶ人に対してどうやったら興味を持ってもらえるかを考えるようになりました。
「きみがいるからこそ、このゲームは面白く遊べるんだね」と言ってもらえるようになったときはうれしかったですね。
大学卒業後は大手企業に入社しました。
元々の保守的な性格もあってか、ボードゲームで仕事をすることに踏ん切りがつかなかったんです。
でも、いざ会社の研修が始まると、ルーティンでの作業がしんどくなって「僕がこれをやる必要はないな」と思い、2ヶ月で退職しました。
転職などをしてなんとか食いつないでいた頃、大学時代にお世話になった経営者の男性と会う機会がありました。
僕の近況を聞いた後、男性は「松永くんはボードゲームで世界で一番になれる可能性のあるポジションにいると思う。なぜそれを目指さないんだい?」と言ったんです。
「僕が世界一に!?」。
この言葉に衝撃を受け、僕には覚悟が足りなかったということを自覚し、その場で「ボードゲームで世界一になります」と宣言しました。
23歳のときでした。
3感動を分かち合う空間を世界中に
現在はボードゲームソムリエ、ボードゲームデザイナーとして、全世界の人にボードゲームの価値を知ってもらうための活動をしています。
僕はボードゲームを全く知らない人、例えば人生ゲーム以外のボードゲームに触れたことがない人に、ボードゲームの価値を知ってもらうためにはどうすればいいかを常に考えています。
僕はボードゲームが大好きです。
でも、「独りよがりな好き」を伝えても、なかなか世間には伝わらないし、ボードゲームをただやってもらうだけでは、広まらないと思っています。
僕が戦略として考えるのは「ボードゲーム×良いコンテンツ」でボードゲームの価値を知ってもらうことです。
例えば、世界的に有名なビジネス書をモチーフにしたボードゲームではビジネスマンや起業家が、日本の人気マンガをモデルにしたボードゲームを作ればマンガのファンがボードゲームで遊んでくれます。
そもそも日本のボードゲームの市場規模は、他のゲームと比べても圧倒的に小さいんです。
日本ではマンガやテレビゲームといった娯楽が多すぎるし、ボードゲームと比べてエンターテインメント性が高い。
そもそもゲームは人間にとって必要なものではないので、ボードゲーム単体ではどうしても地味なゲームに映ってしまいます。
最近はボードゲーム制作やプロデュースもしています。
僕の今の目標は、あらゆる業界のトップコンテンツとコラボしたボードゲームを作ることです。
こうしたコラボがボードゲームのエンターテインメント性を高め、ボードゲームに価値を生むきっかけになります。
僕にしか作れないボードゲームを生み続け、それをみんなに知ってもらって、ボードゲームを通して感動を分かち合う空間が世界中に広まってくれればうれしいです。
※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年5月)のものです