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仕事は楽しく無理せず
難病を経験して得た「暮らしファースト」という考え方
【企業人事/映画ライター・永井勇成】

目次
  1. 楽しいことは自分から取りに行く
  2. 難病を経験、仕事よりも「暮らしファースト」
  3. 仕事にはたくさんの選択肢がある

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、惣菜の社食サービスなどを展開する株式会社OKANに勤める永井勇成さんをご紹介。

20代から町工場、映画館、家電量販店と様々な仕事を経験。35歳で上京し仕事を始めてからも多くのキャリアを積んできました。大病を患ってからは仕事への価値観が大きく変化します。そんな永井さんの半生を伺いました。

1楽しいことは自分から取りに行く

小さい頃から面白いことが大好きで、クラスの人気者になりたいと思っていました。
冗談を言ったり、ときにはギリギリセーフのおふざけをしたりして、クラスメートを笑わせていましたね。
ふざけすぎて先生や両親に叱られることもありましたが、とにかく周りの人が笑ったり喜んだりする顔を見るのが幸せでした。

高校までは地元の石川県で、大学進学を機に上京しました。
同じ高校の同級生が1人もおらず、大学に誰も友達がいない状態になりましたが、そのときも面白いことを言ったりふざけたりして、周りのみんなを笑わせて友達を作っていきましたね。
自分の所属するコミュニティを楽しくするには、どうしたらいいのかを考えながら生活していました。

大学生活は楽しかったのですが、恥ずかしながら卒業後のキャリアは全く考えていませんでしたし、就職活動も有名企業数社の採用試験を受けたものの全滅してしまいました。
特にやりたいことがなかったので、石川に帰って町工場に就職しました。
アメリカの航空機メーカーから発注を受けるなど、高い技術力のある会社だったので、ここで働くのも悪くないなと思っていたほどです。

しかし、工場で使う薬品が自分の肌に合わず、仕事を満足にこなせない日々が続きました。
結局、この工場は数ヶ月で退職しました。
そこから映画館や家電量販店、全国の観光地のお土産菓子を作る会社など仕事を転々としました。
映画や家電の知識が得られたし、お菓子を作る会社では営業として全国を飛び回ったので、地理にも詳しくなりましたね。

お菓子の会社にいたときは、有名テレビドラマや人気アイドルグループのお菓子を手掛け、テンションが最高に上がりました。
でも、この会社にいてこれ以上テンションの上がる仕事はないと思い、退職を決意。
独立することにしました。

なるべく競合のない仕事がいいと思い、石川県で初のiPhone修理店をオープンさせました。
これが大当たりし、どんどん修理の依頼が入ってきて売上が伸びていきました。
しかし、他の業者がすぐに目をつけて周りに同じような店ができ、売上は少しずつ減っていきました。

これまでは黙っていても売上が上がっていましたが、これからは自分から発信しないとお客さんが来てくれない。
もっと宣伝しなければと思い、自分の店のサイトを作って、お役立ち記事の執筆を始めました。
どうしたら記事を見てくれるのか工夫し、ちょっとふざけた視点で商品を紹介しましたね。

記事の執筆と並行して、副業でライター業も始めていたところ、発注元である東京のウェブ制作会社が人材募集していると知り、思い切って応募してみることにしました。

石川での生活に大きな不満はなかったのですが、仕事もプライベートも平凡な毎日で、何も変化なく過ぎていくのではないかと不安に感じていました。
このまま一生が終わってしまうんじゃないかと。
楽しいことは自分から取りに行かなくては。
危機感を感じた僕は石川での生活を捨てて、東京に行くことを決めます。
35歳のときでした。

2難病を経験、仕事よりも「暮らしファースト」

就職した会社ではライターだけでなく編集者なども経験し、充実した日々を送りました。
一方で、もっと楽しいことを取りに行こうと、東京でもキャリアチェンジをしていきます。
映画ライター、企業の広報、イベントの運営、無料素材サイトのモデルなどさまざまな仕事を経験しました。

東京に来てあらためて思ったのは、自分は東京が好きだということ。
なにより35歳にして石川での生活を捨てて上京した自分の人生がすごくドラマチックだと感じていましたし、生きている実感を得られたんです。
幸運なことに東京で出会った女性と結婚もしました。

会社員としては順調でしたが、趣味だった映画に関する仕事を個人で引き受けるようになっていき、フリーランスとして独立することに。
しかし、独立後しばらくしてから体に痛みを感じるようになりました。

体の痛みは増すばかりで、食欲もなくなっていき、体重は20キロ近く減りました。
このままではまずいと思い、大きな病院で精密検査を受けました。
診断の結果、国が難病に指定している「皮膚筋炎」という病気だと判明します。
体の中の免疫機能が暴走し、自分の皮膚や筋肉を攻撃する膠原病(こうげんびょう)の一種で、肺炎を併発して死に至ることもある病気でした。

病名を聞いたとき、分かって良かったという気持ちと同時に、思ったより重い病気だなと思いました。
人生で初めて死を意識し、もちろん不安でしたが、悲しくはなかったですね。
なるようにしかならないと思えた自分がいたのです。
幸いにして治療がうまくいって体が回復し、約4ヶ月後に退院できました。

退院してからは「普通の暮らしがしたい」と思いました。
病気になる前までは、仕事を優先して、健康のことは一切考えていませんでした。
朝食を食べたり食べなかったり、お酒も毎日飲んでいて、健康に全く気を使っていなかったんです。
仕事ではなく暮らしを第一に考える「暮らしファースト」を自分に掲げ、規則正しい生活、ストレスのかからない生活を心がけるようにしました。

退院後、いくつかの仕事をしている中で、惣菜の社食サービスなどを提供しているベンチャー企業からオファーを受けました。
「働く人のライフスタイルを豊かにする」をミッションに掲げている会社です。
暮らしと働くことのバランスと、それぞれの価値を模索していたところだったので、このミッションに共感し、2019年11月から働いています。
現在は人事・労務の担当として、採用面接を担当しているほか、従業員満足度を上げる施策に取り組んでいます。

3仕事にはたくさんの選択肢がある

今後は自身の経験をもとに、仕事に対する考え方を発信していきたいと思っています。
いろいろな仕事を経験して、重い病気にかかった自分だからこそ出来る事があると思うからです。

極端に言えば、今の仕事がしんどいなら、無理をしてまで働く必要はないと思います。
必死に働きながら、「自分にはこの会社しかない…」と思い込んでいないでしょうか。
会社を辞めるという選択肢は悪いことではないです。
僕は病気を経験してから「無理しない」「ズルしない」を意識しながら、仕事をしています。
逃げるわけではなく、自分を守るためです。

一方で、会社に不満を感じていて、「もっと良い会社があるはずだ」と思っているなら、「工夫次第で、もっとやれること、楽しめることがあるんじゃないか」とアドバイスします。
不満を持って会社を辞めても、次の会社では同じ不満が出てくる可能性があるからです。

今の時代、時間と場所を選ばない働き方、副業などでいくつもの仕事をこなす働き方など、さまざまな選択肢がありますし、ひとつの仕事に固執しなくてもいいと思うんです。
ブラック企業で朝から晩まで働いている人には、仕事にはたくさんの選択肢があることを知ってほしいです。
(もちろん楽しく朝から晩まで働けているなら最高です。)

僕は病気になる前から職場が楽しくないと嫌で、気持ち悪いと思っていました。
自分が笑っていたいから楽しい職場にしたいし、常に楽しくする工夫しています。
僕がちょっとふざけることで、僕の周りが楽しくなる。
まずは僕の手が届く範囲が平和で楽しくなればいいと思っていますし、それが周りに伝わって、世の中が楽しく平和になればもっといいですよね。

「自分の好きを増やしていく」活動をしたいと思っています。
僕は病気になる前、自分の「好き」が一番楽しいと思っていました。
でも、他人の「好き」を探って拾っていけば、もっと自分が楽しくなれると気づいたのです。

「なぜ好きなのか?」を聞き、それが自分にハマるかどうかを探る。
ひょっとしたら、自分もハマるかもしれない。
まずは他人の「好き」をいったん受け入れてから、取り入れるかどうかを考えるスタンスにしています。

世の中が楽しくない、面白くないなと思っている人は、周りの人の「楽しい」「面白い」を探っていくと、楽しくて面白くなる一歩が見つかるかもしれません。
見つからなくても否定せず、その人の「楽しい」「面白い」を応援してあげると、豊かな気持ちになれると思いますよ。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年4月)のものです

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ご協力ありがとうございました
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