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定年退職→経済コラムニスト
元企業戦士がサラリーマンにエール
【経済コラムニスト・大江英樹】

目次
  1. 定年後、やりがいを探して起業
  2. 私を必要としてくれるうれしさ
  3. 定年退職後は謙虚に学ぶ姿勢を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、経済コラムニストの大江英樹さんをご紹介。

大手証券会社を定年退職後、独立した大江さんですが、退職前は独立するつもりはなかったといいます。文章を書くのも苦手だった大江さんが、経済コラムニストになった理由や、独立してから大切にしている考えなどを伺いました。

1定年後、やりがいを探して起業

大手証券会社で仕事をしていましたが、60歳の定年退職が見え始めた頃、定年後の次のライフプランを考え始めました。
それまでずっと「企業戦士」としてハードな仕事を続けていたので、仕事を辞めたらのんびりと映画やコンサートに行って第2の人生を楽しもうと思っていたのです。

でも、引退したいと思う一方で、のんびりした時間は仕事をしているからこそ楽しめるのではと思い始めました。
そんなとき、会社に再雇用制度が出来て65歳までは働けるようになったので、再雇用制度でしばらく働いてみようと思いました。
ただ、再雇用制度での仕事は、定年前の仕事と比べて責任も権限も縮小されます。
果たして、それでやりがいが持てるのかという不安はありましたね。

不安を抱えながら定年を迎え、再雇用制度で仕事を始めたものの、予想通り仕事はあまり面白くありませんでした。
もっとやりがいのある仕事を作ろうと、会社を半年で辞め、2012年9月に独立して会社を設立したのです。

一番やりたいことを仕事にしようと、準備したのが投資教育ビジネスでした。
定年前10年ほど年金に関する投資教育業務などを行っていたので、これを仕事にしようと思ったんです。

ところが仕事の依頼は全くありませんでした。
それまでは大手証券会社の社員として仕事をしていましたが、個人で仕事をしたことはなく営業活動もほとんどしていなかったので、仕事に繋がるきっかけがなかったんです。

どうすれば自分のことをもっと知ってもらえるのか、考えた末に出した結論は、本を出版することでした。
自分の出来ることや考えを書いて出版すれば、私の能力や専門性をすぐに理解してくれると思ったからです。
とはいえ、世間には私の名前は知られていないので、簡単にはいきません。
企画書を持って出版社数社を回りましたが、いずれも門前払いでしたね。

本を出したいといろんな人に言い続けていたある日、小さな出版社の人が相談に乗ってくれました。
私は会社員時代に企業内広報誌で投資に関するコラムを連載していて、そのときの編集担当の人が転職して、出版社に勤めていたんです。

本を出したい旨を相談したところ、出版する部数の半数を著者が買い取ってくれるならいいということでした。
出版部数は1,500部、その半分、金額にして約75万円を私が負担しました。
この金額が高いか安いかは人によるでしょうが、私は名刺の印刷代だと思えば安いものだと思い、その条件で出版することにしたんです。

2私を必要としてくれるうれしさ

本を出版するためには、文章を書く必要があります。
しかし、私はこれまで文章を書いた経験がほとんどなかったので、執筆に苦労しました。
編集者にたくさんのアドバイスを受けながら、徐々に文章力が上がっていきましたね。

本は出したもののなかなか仕事が入ってこなかったので、とにかくいろいろな人が集まる会合に顔を出しました。
そこで自己紹介をすると、仲間内で投資関連の勉強会を開いているので、そこで講師をやってくれないか、という依頼を受けるようになりました。

このとき、報酬は一切もらっていません。
いわばお試し期間のつもりだった
ので、自分を必要としてくれるところに足を運んで講師をすることで、自分のことを知ってもらいたかったからです。
すると勉強会に参加した人が、自分のブログで勉強会の様子を書いてくれて、このブログを見た人が私に問い合わせてくれるということが起こり始めたのです。
年金や金融関係のコラムの執筆のほか、企業の資料作成のお手伝いもしました。
報酬がなくても、私を必要としてくれるのがうれしかったですね。

こうした活動を続けるうちに、きちんと報酬を頂けるような仕事も徐々に増えていきました。

今では経済コラムニストとして、月10本ほどの連載を抱えるまでになりましたし、著書も年間3冊くらいのペースで出していて、2020年は6冊の本を書く予定です。

独立したときには、コラムを書いたり本を執筆したりするとは夢にも思っていませんでした。
でも、最初の著書を書き上げたとき、また書きたいと思ったし、いまではコラムの執筆教室も開くほどになりました。
文章を書くのは性に合っていたのかもしれませんね。

一方で講演も年間140~150回行っています。
ファイナンシャルプランナーの団体や日本銀行、地方新聞で、50代向けのライフプランなどをテーマにしています。
2018年も19年も休日は5日間だけでした。
2020年も土日は仕事の予定があって、忙しく仕事をしています。
ありがたい限りですね。

3定年退職後は謙虚に学ぶ姿勢を

定年まで会社を勤め上げたあと、第2の人生でやりたいことが見つからないという人を見かけます。
でも、それはしょうがないと思います。
サラリーマンはやりたい仕事ではなく、やらされていた仕事だからです。
そんな状態で定年を迎えて、やりたいことを探せと言われても分かるはずがありません。

私は独立してから、前職の会社の人たちとの付き合いをほとんどしていません。
自分を知ってもらうために、たくさんの人と知り合い、交流を図りたかったからです。
と言っても仕事をもらうためではなく、利害関係のない人たちと多く交流し、つながりを作った上で自分のスキルを与える「ギブファースト」を心がけていました。
当初、よくあるビジネス交流会の類いにも数回行きましたが、ああいうものはほとんど役に立たないということがわかりました。
参加者のほとんどがテイクを求める人ばかりの集まりだからです。

ビジネスは「やりたいこと」「やれること」「世の中が求めていること」。
この3つの接点で生まれます。
私がやりたかった投資教育ビジネスは実際の仕事にはなりませんでした。
でも、その代わりに経済コラムの執筆や定年後の生き方に関する講演の仕事は増えてきました。
これは世の中が求めていることなのかもしれません。

やれる仕事を見つけるために大事なのは「人に教えてもらう」ことです。
人との繋がりをたくさん持って、たくさんの人と話すことで、自分では気づかないことを教えてもらうんです。
若い人からの教えは特に大切です。
私は、若い人のほうが絶対に自分より正しいという信念を持ちながら話を聞きます。
そうでなくても年配者は上から目線になりがちです。
だからこそ
若い人から話を聞くときは、そのくらいがちょうどいいと思います。

60歳を過ぎても、好奇心を持つことは大事だと思います。
好奇心旺盛でないと最初の一歩は踏み出せません。

定年後、なかなか外の世界に一歩が踏み出せない人に対して私が言いたいことは「せっかくサラリーマンを辞めたのだから、自由になろうよ」ということです。
私はサラリーマンは「会社に自由を売り渡す代わりに身分の安定を買う」職業だと考えています。
それはそれで良い生活でしたが、もうその立場は終わり、自由を手に入れたんです。

定年退職して自由の翼を手に入れたと思えば、なんでも出来ると思います。
しかも、退職金やら公的年金も入ってきますから、30代、40代の人に比べたら独立するのはそれほど大きなリスクではありません。
ここまで来て一歩踏み出せないなら、別に仕事にこだわるのではなく、趣味でも何でも好きなことをやればいいし、家でのんびり過ごすのも悪くはないと思います。

世の中の多くのサラリーマンは、自分はすごい仕事をしていると思いがちですが、実際は会社の信用と、組織の中で多くの人に助けられて仕事ができているだけなのです。
会社を辞めたら謙虚に学ぶ姿勢が求められます。

もちろん仕事でなくても、趣味でもボランティアでも自分の居場所は作れます。
会社員時代は会社が居場所でした。
会社を辞めたら、どこが自分の居心地の良い場所を探す必要があります。
ただ、居心地の良い場所が何かということはやってみないと分からないんです。
だからこそ、いろいろなことをやってみることが重要なんです。

私は現在、68歳ですが、小説を書くという夢を持っています。
これまでビジネス書は多く出版していますが、物語を書いてみたいんです。
その小説が映画化されて、その映画にちょい役で出演することができればさらに良いですね(笑)。
学生時代、演劇をやっていたので、映画や舞台にも憧れがあるからです。
この夢をかなえるのは簡単ではありませんが、挑戦していこうと思います。

70歳になっても、80歳になっても、夢や目標を持ち続ける人でありたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年4月)のものです

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