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手を繋ぐ老夫婦を日本中に増やしたい。
素晴らしいパートナーシップがより人生を豊かにする
【フリーランス・加藤里絵】

目次
  1. 本当の自分がわからない
  2. 運命の出会いを経て、理想の自分に変化
  3. 手を繋いで歩く老夫婦を日本中に

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、フリーランスで採用・PR支援のお仕事をしながら、独自の婚活サービスを企画している、加藤里絵さんをご紹介。

「幸せな家族を作るサポート」をすることが人生のミッションだといいます。そんな加藤さんですが、中学生のときの出来事がきっかけで、学生時代は自分の考えや思いが人に言えなかったそうです。加藤さんがどのようにして自分の使命を見つけていったのか、お話を伺いました。

1本当の自分がわからない

子どもの頃はかなり人見知りな性格で、お母さんの後ろに隠れてしまうこともありました。

中学2年の時、クラスの女子はスポーツばりばりの気の強いグループと漫画やアニメ好きのオタク気質なグループに二極化していました。
私は気が強いわけでもなくオタク気質でもなく、今まではいつも中間的な位置に属していたのですが、似たようなタイプの人がそのクラスには全然いなかったんです。
孤立したくなかったので、どちらのグループでも属せるように振る舞っていたのですが、どちらにいても居心地はよくありませんでした。

気がつくと自分の思いや考えは表に出さず、相手の顔色をうかがいながら、相手が喜ぶような受け答えをするようになっていました。
相手を楽しませないといけない、とピエロのように振る舞うことが癖づいてしまい、体調が悪い日でさえも他人を喜ばせようとしていましたね。
そうしていると、一体自分は何者だろうと思うようになっていきました。

自分が何をしたいか、何を思っているかを表に出せない、自分の心に制御をかける日々が本当に苦しかったです。
ずっと転校したいと思っていました。

高校に入っても一度ピエロの癖がついてしまったせいで、自分を思うように出せない日々からは抜け出せずにいました。
グループに属するのも苦手で、決まった友人といつも2人で過ごしていました。

高校3年生の時、通っている塾のチューターの先生が20代前半の女性になりました。
その人は塾で正社員として働きながら、ヘアモデルをしたり、アーティストとして歌を歌っていたり、自分の軸を持ってやりたいことを全力でやっていたんです。
自信のない自分を変えたい、と思っていた私にとって、先生は一瞬で憧れの存在になりました。

勉強だけでなく、将来のこと、人生のこと、恋愛のこと、誰にも言えなかった悩みを先生は親身になって聞いてくれました。
そして適切なアドバイスや時には厳しい事も言ってくれました。
ほぼ毎日先生の所に行って3時間以上話していましたね。

先生との出会いからどんどん心が軽くなっていき、本当の自分は何を感じているのかを徐々に思い出せるようになっていきました。
そして、先生みたいに自分の軸を持って生きていきたいと強く思うようになり、本気で自分を変えるための行動をしようと決意しました。

2運命の出会いを経て、理想の自分に変化

大学に入ってからは、とにかく人見知りを直そうと努力しました。
同じコミュニティ以外の人たちに積極的に会う機会を作って、初対面の人とひたすら会って話をするようにしました。
最初は作り笑いしかできず、表情筋がこわばってかなり疲れました。
でも、繰り返し行動をし続けていたら、人見知りが徐々になくなっていきました。
大学2年生の頃には本来の自分を外に出せるようになっていました。
気づくと人見知りが治るどころか初対面の人とすぐに良い関係を作るのが得意になっていたんです。

就職活動の時期になって人生に大きく影響を与えたことってなんだろうと、人生の棚卸しをしました。
棚卸しをする中で、塾の先生の存在がどれほど大きいかということに改めて気づきました。

私も先生みたいな存在になりたい。
それが自分の仕事選びの軸になり、「人生の転機で悩んでいる人をサポートしたい、かつ人生において影響力の大きい分野の課題を解決してイキイキと生きる人を増やしたい!」そう思うようになりました。

この想いを実現できる仕事はなんだろうといろいろな説明会に行き、たくさんの人に会う中でウェディング業界、人材業界にピンときました。
悩んだ結果、ウェディング業界でファーストキャリアを積むことにしました。

夢を持って社会人になりましたが、入社1日目にして入る会社を間違えたのかも、と思いました。
理不尽なことで怒られるし、なかなか家に帰れないし、休みもないし、社会人はこんなに大変なのかと思いましたね。

そこからIT企業に転職しました。
絶対に結果を出すと決めていたので、朝から晩まで死ぬ気で働きました。
新規開拓営業が向いていたので思ったよりも早く結果を出すことができ、結果を出せば社内での居場所ができて周りからの評価も変わりました。

仕事で評価されてから気づいたのは、これまでの自分には甘い部分があったことです。
学生時代に何かをやりきった経験があまりなく、諦めが早かったんです。
社会人になって初めて、どんなに辛くても逃げずに営業の仕事に向き合い結果を出したことで、知らなかった自分に出会えた気がしました。
とても自信になりましたね。

しかし、さまざまな業界のお客様と接する中で、やはりウェディングへの情熱が一番強いことに気づき、大手結婚情報誌を扱う会社に転職しました。

そこでは結婚式場のPRや集客コンサルティングの業務を担当。
情報誌に載せる式場の写真や文章の内容を工夫することで、読者の反響や来館層が変わることに面白みを感じました。
また結婚式場の来館者数を大幅に増やすことにも成功。
クライアントに喜ばれたことが何よりもやりがいに感じました。

3手を繋いで歩く老夫婦を日本中に

転職して3年ほどが経つと、会社の看板を借りて働くよりも、自分の名前で仕事をしていけるようになりたいと思うようになりました。
成果も出せるようになって、大手ではできない新しいウェディングのサービスを立ち上げたいという気持ちが強くなり、フリーランスとして働くことにチャレンジすると決めました。
独立する前に、就活の時に決めたもう一つの軸である人材業界(転職支援)の経験も積みたかったので、そちらの業界での仕事もしました。

現在は、フリーランスで企業の採用支援とPR支援の仕事をしています。
また、個人向けに、幸せな家族を増やすためのコンサルサービスを作っていきたいです。
独自のものにしたいので、キャリア形成から考える婚活サービスにしようと思っています。
私は仕事で悩みを抱えて悶々としていた時、恋愛もうまくいかなかった経験があります。
仕事が充実していると魅力が増して、恋愛もうまくいく。
今後は男女共に仕事を楽しんでいるかが、人生の要になってくると思います。
仕事が充実するから結婚生活もうまくいくと思うんです。

だからこそ、キャリア支援と婚活を掛け合わせたサービスを作っていきたいんです。
人生100年時代、どんな人生を歩んでいきたいのか、しっかりと自分と向き合い、ライフステージの変化に合わせてベストな関係性を作れる夫婦を増やしていきたいです。

一人で得られる幸せには限界があります。
自分の幸せを応援してくれるパートナーがいると、人生はもっと豊かになります。
相手を通して成長できたり、癒されて原動力になるような恋愛や結婚は素晴らしいと思います。
他の人では替えがきかない素晴らしい関係性を作って、より豊かな人生を送るカップルや夫婦を増やしていきたいです。

究極の目標は、手を繋いで歩いている老夫婦が街に溢れている世界を作ることです。
私の両親はすごく仲良しです。
子育てがうまかったとは言えないけれど、両親が仲睦まじいことは何よりも素晴らしい子育ての環境だったと思います。
仲が良い両親が誇りであり、憧れです。
そんな両親みたいな、仲睦まじい夫婦をたくさん増やしていきたいです。
婚活ビジネスが軌道に乗った後に、結婚後のパートナーシップで悩む夫婦のサポートもやっていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年4月)のものです

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