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カンボジアで感じた持続的発展の必要性
社会的投資で作る未来を
【東南アジアの社会起業家の支援・功能聡子】

目次
  1. 自立してリーダーシップを持つ女性に驚く
  2. 国の持続的発展には社会的投資が必要
  3. 教育・農業などの基礎的インフラ整備にも社会的投資を

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、途上国で「貧困」等の社会課題に対して取り組む社会起業家に投資する事業を展開している功能聡子さんをご紹介。

NGOやJICAの専門家として、カンボジアに約10年在住した功能さん。日本に帰国後、途上国の発展のためには持続可能なビジネスが重要だと認識し、社会起業家の支援に取り組んでいます。途上国支援に対する功能さんの思いとは。お話を伺いました。

1自立してリーダーシップを持つ女性に驚く

中学生の時、ネパールで国際協力をしていた男性が学校に講演に来てくれました。
男性はネパールに住みながら、現地の人と一緒にネパールの発展に尽力していました。
ネパールでの活動や生活など聞いていくうちに、知らない環境・文化や未知の世界に対する思いが強くなっていきました。

同じく中学生の時、障がい者と農業をしながら暮らす共働学舎で、数日間の体験学習を経験したことがありました。
健常者と障がい者が一緒に暮らし、農業をしている様子に最初はビックリしましたが、障がい者が役割を持ってイキイキと生活している姿に感動しました。
北海道の共働学舎では牛を飼っていて、乳牛から作ったチーズを売って利益を出していました。
こうした経済活動の仕組みはいいなと思いましたね。

大学生になると途上国への関心が強くなり、アパルトヘイトの反対運動にも参加しました。
学生最後の春休みにはフィリピンへスタディツアーに行きました。
この時が初の海外でした。
現地では旧日本軍の戦闘地域を回ったり、山岳の少数民族の地域に行って話を聞いたりしましたね。
現地の若い人たちと対話する機会もあり、彼らの政治に対する意識に刺激を受けました。

大学卒業後はNGO(非政府組織)に就職したいと思っていましたが、親に反対されて断念しました。
大学では生物学を専攻していたので、とりあえず医薬品メーカーに就職しました。

しかし、本意で入った会社ではなかったので、仕事に対する情熱がなかなか注げず、自分のやるべき事はやはりこれじゃないと思うようになっていきました。
仕事の後は日本のNPO(非営利団体)の活動に積極的に参加していましたね。

結局、2年ほどで退職し、栃木県にある学校法人に転職しました。
アジアやアフリカの農村で農業や農村開発に従事するリーダーを育成する学校で、タイやインド、ガーナやミャンマーなど10〜15ヶ国から集まった若者30人ほどが在籍し、学んでいました。

中には女性の研修生もいました。
彼女たちはすごく元気で自立していて、リーダーシップが強く感じられました。
途上国にこんな女性がいるんだと驚きましたね。
しかし、当時の職場には女性は補助的な役割という雰囲気があって、日本では女性が軽く見られていて、まだまだなんだなと思いましたね。
私は総務事務を担当していましたが、今思うとスキルも意識も自立とはほど遠い感じでした。

インドの卒業生の活動を支援するプログラムで1ヶ月ほどインドに行く機会がありました。
現地の人たちからは歓迎されましたが、あまり現場での作業に携われず、ほとんどが見学の形で終わったんです。
見学自体は楽しかったんですが、お客さん扱いされている感覚が拭えず、物足りない感じがしましたね。

中学生の時の講演に来てくれた日本人の男性は、ネパールに住んで活動していました。
その方の現地に根ざす姿勢と比べると、見学して活動したような気になるのは、ちょっと違うなと感じるようになり、この頃から現地に行って出来ることは何かを考えるようになりました。

そんな中、カンボジアで活動しているNGOの職員から、現地で働いてみないかと依頼が来たんです。
悩んで考えた末、現地に行くことにしました。

2国の持続的発展には社会的投資が必要

カンボジアでは農村で暮らしながら活動しました。
現地の保健局と協力しながら、母子保健の普及、妊産婦や乳幼児の死亡率を下げるための活動に尽力しました。
現地の母親に栄養指導をしたり、井戸やトイレを作ったり、生活指導をしたりしました。
最初は英語で話していましたが、途中からは現地の言葉でやり取りして、現地に溶け込んだ生活を送っていましたね。
2年後、このNGOの代表となりました。
マネジメント業務も加わり、苦労も多かったですが、充実した日々を送りました。

この頃、フランスの留学から帰ってきたカンボジア人の若者と話をする機会がありました。
彼は奨学金制度を利用しようと試験を受けたものの落ちてしまい、私費でフランスに留学したというんです。
彼の家は決して裕福ではなく、留学費用は大金です。

私はその話を聞いて、衝撃を受けました。
私も留学しようと考えてはいましたが、奨学金をもらえたら行こうかなくらいの考えでした。
でも彼は私費で行った。
これはすごいなと。

それまで私が見てきたカンボジア人の中には内戦時代の辛い経験の影響もあって、何だか自信がなく、何をやってもうまくいかないんじゃないかという考えの人もいました。
でも、 彼は違いました。
自信も行動力も意思もある。
彼みたいな若者が増えているカンボジアという国はもっと良くなると思いました。

5年ほど活動した後NGOを辞め、一時帰国を経て、今度はJICA(国際協力機構)の専門家として再びカンボジアに向かいました。
NGOとは違うカンボジアとの関わり方ができて、とても学びになりました。
JICAの専門家としても5年ほどカンボジアに滞在しました。

カンボジアでの生活の後、もっと貧困や社会開発についての学びを得ようとロンドンの大学院に進学しました。
大学院では、貧困解消に取り組む途上国の事業家に投資をする「社会的投資」の仕組みに関心を持ちました。

私がカンボジアに10年滞在していた中で、国内情勢も変化していきました。
カンボジアに来た当初は、長い内戦による影響で経済状態も悪く、海外からの援助をたくさん受けていました。

しかし、援助ばかり受けていては、国民が自らの国を良くしようと自立する方向になかなか進みません。
もっと国が自立して持続的な発展をするには、現地の人の意思を尊重したビジネスが必要なのではと考えるようになりました。
そこで、社会的投資をもっと知ろうと、ヨーロッパの団体を視察したり、日本のNPOにヒアリングをしたりしましたね。

2008年にリーマンショックが起きました。
世界中に経済的な影響が出る中、カンボジアで農民によるビジネスの支援をしていた団体が、欧州からの送金が滞っていて困っていることを知りました。
現地の農民を困らせるわけにはいかない。
何とかしないとと思い、緊急的に組合を作って出資してくれる人を募りました。
最終的に30人ほどが出資してくれ、お金が団体に送られた後、農業ビジネス支援は滞りなく行われ、出資してくれた人たちにもお金をお返しすることができました。

3教育・農業などの基礎的インフラ整備にも社会的投資を

この仕組みなら起業家を支援できると思い、2009年に会社を立ち上げました。
主な対象はアジアの社会起業家です。
起業家に出資をしてくれる団体・企業や個人を私たちが探し、出資を募ります。
その上で、私たちが現地に行き、起業家の志やビジネスプランを聞いた上で、出資するかを判断します。
彼らのビジネスが成功すれば、リターンとして投資家にも利益が出る仕組みです。

現地の方のお話を聞く功能さん

現地の方のお話を聞く功能さん

途上国と呼ばれる国は、多くの支援を受けてきました。
でも、今、途上国の起業家はビジネスで社会に必要なさまざまなインフラを整えたり、雇用を生み出したりしています。
そうした起業家が活躍する国は、もはや途上国と呼ぶ必要はないと思っています。

世界のいろいろな地域の若者がビジネスで国を良くしていこうと活動しています。
そんな人たちと協働できたら素晴らしいし、世界の人たちの価値観をも変えるビジネスに伴走出来たらいいと思っています。

私たちの生活に関わる分野、特に農村や女性の雇用問題には、イノベーションが生まれていない現状があります。
社会的投資を通じて、保健医療、水衛生、教育、農業など基礎的なインフラを目的にしたビジネスを掲げる起業家にお金が届く仕組みをもっと広めていきたいです。

また、教育が受けられず、文字も読めない人たちは、いまだに搾取される構図になっています。
社会構造的に不利益な立場の人たちが減るように、女性の教育の機会や雇用を作る事業も応援していきたいです。

日本でも社会的投資が広まりつつあります。
今後は世界だけでなく、日本の社会起業家の支援もしていくつもりです。
世界中の国が持続可能な社会を作るためのビジネスモデルを展開できるよう、活動していきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年4月)のものです

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