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世界に出て、価値観を揺さぶられた
実際に見て、聞いて、体験してわかったこと
【なでしこVoice代表・濵田真里】

目次
  1. 人生を変えた1冊の本との出会い
  2. 世界22ヶ国を訪れて、自分の傲慢さに気付いた
  3. 「人をエンパワーメントできるような在り方」を目指したい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、海外で働く日本人女性のリアルな声を発信するインタビューサイト「なでしこVoice」を運営する濵田真里さんをご紹介。

子育てをしながら大学院でジェンダー論を学んでいる濵田さん。大学生の時に世界各国を回ってから価値観が変わっていきました。そんな濵田さんが大事にしている思いとは。お話を伺いました。

1人生を変えた1冊の本との出会い

父親の仕事の都合で、引っ越しの多い家庭でした。
幼稚園は1年ごと、小学校は4回の転校を経験しました。
学期の途中に転校することもあったので、すでに仲良しグループが出来上がっているクラスのなかに放り込まれるのは、子どもながらにタフな経験でしたね。
なかなかうまく輪の中に入れず、いじめに遭ったこともありました。

母親は本好きで、たくさんの本を読み聞かせてくれました。
自分でも本をよく読み、お風呂から上がって晩ご飯を待つまでの間の楽しみは、毎日違う本を選んで読むこと。
予想外の展開が盛り込まれているストーリーが好きで、冒険ものや決まりきったハッピーエンドの結末にならない本に夢中になりましたね。

中学・高校はあまり楽しい時期ではありませんでした。
スクールカースト的なものにうんざりしていたのと、いじられキャラとして接せられることが多く、真面目に発言をしてもからかわれることが嫌だったんです。
からかわれるたびに「自分はバカなんじゃないか」と本気で悩むことも。

「ここから抜け出したい」と思っていた高校2年生のある日、目が覚めるような経験をしました。
塾の先生が都内の有名私立大学に連れて行ってくれて、初めて大学のキャンパスを見学したんです。
そのキャンパスでは学生たちが各々好きなように過ごしていて、踊ってる人もいれば、ひとりで演説をしている人もいて驚きました。
「この場所なら、私でも楽しくやっていけそう!」と思い、第一志望に決めました。

しかし、迎えた大学受験では、志望校の5学部全て不合格という結果に。
電話で不合格発表を聞きながら頭のなかで考えていたのは「ここで踏ん張らなかったら今後、色んなことを諦めてしまう気がする。このままでは終われない」ということ。
この決断は、絶対に自分の人生でターニングポイントになるという強い確信がありました。
クラスメートの多くは大学に進学するなか、1年間の浪人を選択。
そして、悔しさをバネに必死で勉強して、念願だった志望校に合格し、大きな自信を得ることができました。

大学入学後は、いくつものサークルを掛け持ちして、自分が興味を持てることを探す日々をおくりました。
転機が訪れたのは、大学2年生の秋。
「マイクロソフトでは出会えなかった天職  僕はこうして社会起業家になった」という本を読み、社会課題をビジネスで解決する仕組み(ソーシャルビジネス)や社会起業家の存在を知り、興味を持つようになったのです。

本を読んだ直後に、著者であるジョン・ウッド氏が来日することを知り、その2週間後に開催された講演会でお会いすることができました。
憧れの人物に直接会えて、大感動。
気持ちが盛り上がって「きっとこの道に進めということだ!」と考え、当時はまだ少なかったソーシャルビジネスの活動をしている学生団体に関わるようになりました。

この団体ではカンボジアに教師を派遣する活動をしていたのですが、当時の私は一度もカンボジアに行ったことがありませんでした。
活動自体は楽しかったものの、だんだんと「関わるからには、自分の目で現地を見てみたい」と思うように。
社会人になってから長期間海外に滞在することは難しそうなので、「海外に行かないまま卒業するほうがリスクだ」と考えて休学を決意。
本を読んだ2ヶ月後には休学届を出し、7ヶ月間の世界一周の旅に出ました。

2世界22ヶ国を訪れて、自分の傲慢さに気付いた

旅では22ヶ国を回ったのですが、海外をただ旅するのではなく、現地で何らかの活動をしたいと思っていました。
そこで、NICEという合宿型ボランティア制度を利用して、ベトナム、インド、トルコ、ドイツ、トーゴの6ヶ国でのボランティアに参加しました。

特に価値観が揺さぶられたのは、アフリカのトーゴでした。
ここでは水の供給プロジェクトに携わり、水道管を埋設するために道路を掘ったり、山の上に土を運んだりする作業をしたりしました。
しかし、すべてが手作業であまりにも効率が悪かったので、私は「機材があればもっと早く作業ができる」と現地のプロジェクトリーダーに提案。
すると、「確かにその通りかもしれないけれど、工事を早く終わらせた分だけ、今シャベルを使って作業している人たちの仕事がなくなってしまうんだよ」と言われたんです。

自分が考えている解決策が、現地の人にとって最適解とは限らないということを実感した経験でした。
そして、自分は現地で何かできるはずだと思い込んでいたけれど、それはとても傲慢な考えだったと大反省。
同時に、何のスキルも力もない自分に無力感を覚えました。
世界一周をした結果、「まずは自分が今いる環境を最大限に利用して、社会に役立つための力を付けよう」と思いを改めました。
考えが変化したのは、やはり実際に見て、聞いて、体験したからに尽きます。

帰国後は、日本での就職活動をスタート。
ただ、世界一周をしたことで「海外で働く」という選択肢にも興味を持っていたので、海外就職情報も探していました。
色々と悩んだ結果、日系IT企業に就職することにしたのですが、就職活動中にあまりにも海外就職情報がなくて困ったので、内定をもらった1ヶ月後にインタビューサイト「なでしこVoice」を立ち上げました。
サイトには、私が就職活動中にまさに欲しいと思っていた、現地で働く日本人女性のインタビューを掲載。
「自分で見て、聞いて、体験する」ために、海外まで直接取材に行くスタイルです。

3「人をエンパワーメントできるような在り方」を目指したい

新卒就職後、1年で退職して編集事務所に転職しました。
その1年後に人材会社に転職し、ここではアジアで働きたい日本人のための情報サイトを運営し、自分がやりたいことを仕事にできて充実の日々でした。
5年間在籍して、マレーシアとタイ拠点でも働きました。
そんな大好きだった仕事を辞めたのは、大学院での学業に専念したかったから。

タイの駐在から帰国後、働きながら大学院に通い始めました。
半年間は両立生活をおくったものの、やはり学業だけに専念する期間が欲しいと思い、大好きだった仕事を辞めることに。
仕事をいったん辞めて学び直しをすることは、リスクと捉えられることもあります。
でも、専門性が欲しかったのと、この経験は今後の自分の人生にプラスの影響を与えるはずだと確信していたので、退職に迷いはありませんでした。

退職した約半年後に妊娠が発覚し、2019年末に第一子を出産しました。
大学内にベビールームがあるので、子どもと通学して一緒にゼミや発表会に参加したこともあります。
大学や周りの人たちが子どももウェルカムな雰囲気なので、とても有り難いです。
私はジェンダー学を学んでいるので、子どもの教育にも今学んでいる視点を活かしていきたいと考えています。

また、2020年2月に台湾人の友人が経営する会社の日本法人を立ち上げました。
産後1ヶ月が経った頃、友人から「代表になってほしい」という連絡をもらい、すぐに承諾の返信をしました。
約1年間の大学院での専念期間を経て、そろそろ何かしたいと思っていた矢先の話で、とてもタイミングが良かったのです。
日本企業の台湾IT人材採用支援と、アジアの人材採用事情を発信するメディアの立ち上げを予定しています。
今年は修論を書き上げながら、この仕事に全力で取り組みたいですね。

人生は選択の連続です。
生きているだけで様々な決断に迫られますが、自分のした決断が、誰かの勇気に繋がったらいいなと思っています。
そう考えるようになったのは、なでしこVoiceで記事を発信するようになってから。
読者の方から「この記事を読んで、一歩踏み出そうと思いました」と言われると、本当に嬉しくなるんです。
誰かの決断が、他の誰かが一歩を踏み出す後押しになる。
そんなきっかけ作りに関われることにやりがいを感じます。
今後もライフワークとして、この活動を続けていきたいですね。

私自身も「人をエンパワーメントできるような在り方」を目指して、悔いのない選択を積み重ねていきたいと思います。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年4月)のものです

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