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被災地・石巻での後悔
農業の課題解決でつなぐ東北への思い
【株式会社LIFULL社長室CleanSmoothie事業責任者/「きっかけ食堂」代表・原田奈実】

目次
  1. 被災地で感じた「やらなかった後悔」
  2. 月1回、東北を考える「きっかけ食堂」
  3. 東北で出会った人たちの期待に応える人になりたい

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、正社員として働きながら、農業や被災地の課題を解決するべく新規事業に取り組む原田奈実さんをご紹介。

高校生の時の東日本大震災の被災地を訪れたこと機に、東北に寄り添う活動「きっかけ食堂」を始めた原田さん。被災地でどんな経験をしたのか。お話をうかがいました。

1被災地で感じた「やらなかった後悔」

高校2年生を迎える直前の春休み、東日本大震災が起きました。
その日は学校が休みで家にいて、テレビのニュースを見て大変なことが起きていると思いました。
でも、東北には行ったこともなくて知り合いもいないので、どこか自分事には感じられないでいたんです。

しばらくは震災関連のニュースが多くて、「絆」をテーマにした話を目にする度に「絆って何だろう、本当にあるのかな」と思って見ていました。

震災から1年が経った頃、被災地に高校生を派遣するプログラムの募集があり、応募しました。
特に深い理由があったわけではないのですが、「絆」という言葉に引っかかるものがあり、自分の目で被災地を見てみたいと思ったんです。

プログラムは宮城県石巻市を中心に回りました。
1日目で「自分なんかが来るべきじゃなかった」と後悔しました。
津波で流された靴、道端に転がる茶碗やゲーム機、積みあがった車にガレキ。
そんな状態を目の当たりにして、震災から1年間、被災地のために何もしてこなかった罪悪感でいっぱいになりました。
今さら来ても、自分にできることは何もない。
そう感じるほどに現地は悲惨な状況でした。

1日目の夜は、被災者の家に泊めてもらいました。
「よく来てくれたね」と歓迎してくれて、美味しいご飯をごちそうになりました。
よそから来た私を歓迎してくれるなんてと、すごく驚きましたね。
被災者の方は、発生当時は家にいたこと、2階まで津波が来たこと、屋根の上で助けを求めたこと、当時の話をたくさんしてくれました。

震災から1年、「よそ者の私が来て本当は嫌じゃないのですか?」と聞いてみました。
返ってきた言葉は「そんなことは思わなくていいよ」「今の若者たちには期待している」。
何もしてこなかった私に期待してくれる人がいると知り、本当に驚き、感動しました。

大変なことがたくさんあったはずなのに、この人たちは前向きに生きている。
自分に何ができるかはわからないけれど、この人たちの期待に応えられるような人間になりたい。
今後も東北と関わり続けていきたい。

漠然とそう思うようになりました。

2月1回、東北を考える「きっかけ食堂」

被災地から戻ってきて、進路に対する考えが変わりました。
それまでは特に勉強したいことがなく、大学に進学するつもりもありませんでしたが、大学で勉強しようと思うようになったんです。
もっと勉強して、被災地で起きている課題、特に社会問題を解決できる力を学びたい。
そのまま内部進学し、大学では被災地の補助金の問題や、仮設住宅でのコミュニティ形成について学びました。

ボランティア後も、被災地でお世話になった方を定期的に訪ねていました。
ある時、「震災から3年経つね。最近、東北に来てくれる人が減っている。忘れられているのかな。忘れられるのは悲しいね」と言ったんです。
その言葉がすごく心に響き、何とかしたいと思うようになりました。

その言葉がきっかけで大きなボランティア団体に入りました。
2カ月間で全国の学生2,000人を東北に連れていくプロジェクトをやっている団体で、私は京都代表を務めました。

全員の移動費や宿泊費などを賄うため、寄付金集めに奔走しました。
10年間は続ける計画の1年目だったので、必死に寄付金を集めました。
しかし、華やかなイベントっぽくなっていたことなどから、次第に批判の声が集まるようになりました。

私自身、モヤモヤを感じるようになりました。
多くの学生が東北に行くのは良いことだけど、一気に2,000人が行くだけ行って、帰った後はどうなるんだろう。
毎回連れていくだけで、帰った後の現地の人とのやりとりやフォローはどうするのかな。
そんな疑問がありました。

結局、1回目を派手に大きくやりすぎて続けることができなくなり、企画は1回で終わってしまいました。
現地の人たちの期待の声、周りの人たちの批判の声。
いろいろなことがうまく整理できなくなり、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいました。

本当に自分がやりたかったことって何なんだろうと、改めて考えてみました。
活動の中で多かったのは「東北に行きたくても遠くて行けない、お金がなくて行けない、仕事が休めないので行けない」という声でした。

現地の人たちの願いは「忘れてほしくない」。
大事なのは現地に行くことではなくて、たとえ離れていても東北のことを想う、どんな形であれ東北と関わり続けていくことだと感じ、京都で「きっかけ食堂」プロジェクトを始めました。

ボランティア活動で知り合った人が経営している飲食店で月1回、1日店長を任せてもらい、東北の生産者さんから食材を仕入れて、東北の料理が食べられるお店を開く。
月1回でも東北のことを考えるきっかけになりたいと思ったんです。
料理だけでなく、3月11日の「11」にちなんで11分間の「きっかけタイム」も設け、東北の農家さんの思いや復興状況を伝え、東北を考える機会を作りました。

きっかけ食堂で東北の生産者さんたちと話していく中で、「今のままの農業じゃだめだよね」という声を多く聞くようになりました。
市場に出すためには、野菜の大きさや形を揃える必要があり、規格外だと出荷できず捨ててしまうので、多くの野菜が無駄になります。
私の祖父母は農家で、コメや野菜を作っていて、規格外の野菜を捨てるのをよく見ていました。
祖父母の野菜は本当に美味しいので、その光景は悲しかったのを覚えています。
東北の課題と地元の課題が似ていることに気付きました。

きっかけ食堂以外にも、農業体験や東北での民泊体験など、大学在学中にいくつかの企画を立ててみましたが、継続性がありませんでした。
継続させるためには、きちんとビジネスとして回る仕組みを作った方が良い。
農業で起きている問題を、ビジネスで解決していきたい
と考えるようになりました。

大学卒業後は、不動産情報サービスを展開する会社に入りました。
会社内で新規事業に挑戦できる環境があり、農業課題を解決するビジネスを作りたかったからです。
企業に対して毎月定額でスムージーを販売するプランを提案し、この事業の責任者になりました。
農業の生産ロスをビジネスで解決したかったんです。

3東北で出会った人たちの期待に応える人になりたい

2020年、きっかけ食堂をNPO化しました。
震災から9年がたち、復興支援をする団体がだんだん少なくなってきています。
そうした状況の中、私たちはきっかけ食堂を継続をさせていくんだという思いを社会にきちんとアピールするためにNPOにしました。
きっかけ食堂は6年目になり、拠点は9に増えました。
しっかり東北に関わり続け、食の魅力を伝えていきます。

高校生の時に初めて東北に行き、出会った方に言われた「あなたたちに期待しているよ」という声に応えられるような生き方をしていきたいです。
たとえ離れていても、地元の人たちの思いを叶えたり、問題を解決したりする取り組みをしていきたいです。

東北だけではなく、井手町に住む人の思いや課題を解決していきたいです。
そのためには井手町をもっと多くの人に知ってもらわないといけません。
私が様々な活動をして、みなさんに私を知ってもらうことで、「原田さんと言えば井手町」と思われるようなキーパーソンになりたいです。

私が手掛けている事業やプロジェクトは、もしかしたら似たようなものがこの世に存在するかもしれません。
でも、初めて被災地に行った時に感じた「やらなかった後悔」は、もうしたくない。
今、自分にできることは何なのか、どうしたら自分に期待してくれている人たちに応えられるのか。
常に自分に問いかけながら、これからも自分にできることをやっていきたいです。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年3月)のものです

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ご協力ありがとうございました
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