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入社3ヶ月で会社をやめた僕が、「帰る場所」をコーヒーショップでつくる理由
【Tadaima Coffee代表・和田昂憲】

目次
  1. 生き方を変えて気づいた、帰ってこれる場所のありがたさ
  2. 師と出会い、コーヒーの道へ
  3. 「ただいま」と言える場所をつくる

人はどのようにして大切にしたい価値観に気づき、人生の軸を見つけるのか。各界で活躍する方の人生ストーリーから紐解きます。今回は、地元で、地域活性化のための取り組みを行いつつコーヒーショップ「Tadaima Coffee」を経営している和田昂憲さんをご紹介。

地元のために何かしたいと思っていたものの強い思いが災いし体を壊してしまった和田さん。新卒で入社した会社をたった3ヶ月で退職します。その後「帰ってくる場所」の大切さに気づき、地元で「Tadaima(ただいま) Coffee」を開始。人が安心して挑戦できるための、帰ってこれる場所作りに挑戦しています。和田さんがどのようにして自分の使命を確立していったのか、お話を伺いました。

1生き方を変えて気づいた、帰ってこれる場所のありがたさ

私は学生時代から、地元、茨城県日立市のために何かしたいと思っていました。
きっかけは地元から離れた大学に進学したことです。
実家に帰るたびに街が急激に寂れていることを実感し悲しく思っていました。

街の人の活気もなくなり、「戻ったって仕事はないから、外で就職するんだよ」と地元の人から寂しい表情で言われたりもしました。
若い世代も全然元気がなくて、街全体に諦めムードが漂うように。

生まれ育った街の風景や思い出が消えていくのをなんとか阻止できないかと思い、地域復興や旅行者を呼び込むビジネスの勉強会に参加するようになりました。
就活も地元への貢献を前提に、不動産ディベロッパーや飲食企業を中心にエントリー。
3年で辞めて、地元で起業しようと思っていたので、内定をもらった企業の中から一番成長できそうなベンチャー企業を選んで入社しました。

ところが、必死で働くうちに体も心も壊してしまい、入社3ヶ月で退職することになりました。
自分の出世のことだけを考えて、他人を利用しようとしている自分も嫌でしたね。
退職後は、生き方を見つめ直すためスローライフ的な生活を送るべく沖縄へリゾートバイトに行くことにしました。

そんな自分の決断をなかなか両親には言い出せず、沖縄に出発する直前、実家に戻った時初めて両親と話をしました。
会社をやめてしまったダメな奴だと思われるんだろうなという引け目を感じていたんです。
会社を辞めたこと、沖縄でスローライフを送ろうとしていることなど勇気のいる告白でしたが、両親は「何があっても味方でいるよ、応援してる。次の進路が決まってるんだったら頑張ってみればいいんじゃない」と言ってくれました。
同じ頃、友人たちにも自分の状況を伝えましたが、同じように受け入れ、応援してもらえました。

自分には、たとえどんな状態になったとしても受け入れてくれる家族や友人がいる。
いつでも「ただいま」と帰れる場所があるとわかりました。
自分の存在が肯定された気がしましたね、同時に、いつか自分も誰かが安心して帰ってこれる場所を作りたいと思いました。

沖縄でへ渡ってからは楽しいと思うことを優先する生き方をはじめました。
これまで毎日、目標やその日やることを決めてから一日に臨んでいたので全く違う生き方でした。

また、見返りを求めず、自分のできることは何でもやりました。
自分の成長や出世のために、他の人のことをないがしろにするような生き方では体も心も持たないことを身をもって実感していたので、違う生き方を模索していたんです。

2師と出会い、コーヒーの道へ

スローライフを楽しむ中で、同じことを繰り返す生活に物足りなさを感じるように。
やっぱり、目標や使命感を持って生きたいと思ったんです。
地元に戻って、幼い頃から好きだったコーヒーに関わる仕事をはじめたいと思いました。

そんな中、公務員をやめて自家焙煎のコーヒー販売を始めた人がいると、インターネットの記事で発見しました。
仕事を辞めた境遇が似ていると思い、興味を惹かれました。
記事を読む中で、特に感銘を受けたのは「人のために生きることが自分に返ってくる」という信念を貫いていること。
人のために動き、喜んでもらうことで初めて幸せを感じられるのだという考えが強く響き、この人の下で学びたいと思いました。

居ても立ってもいられなくなり、その人に手紙を出しました。
自分の状況、なぜあなたの元で働きたいと思っているのか、そして、将来は地元でコーヒーショップを立ち上げたいと考えていることなど自分の思いを綴りました。

するとメールが返ってきて、直接お会いできることに。
会いに行くと、自分のような若者に、お店の事業計画から売上状況まで細かく説明してくれました。
やはりこの人の「人のために」という信念は本物なんだなと感じ、改めて働かせて欲しいとお願いしました。
熱意が伝わり、働かせてもらえることがその場で決まりました。

働く上でコーヒービジネスの基礎から、自分との向き合い方までいろいろなことを学びました。
2年ほど学んだ後、地元で知事が変わったり経営大学院の分校ができたりといった動きがあり、事業を立ち上げるチャンスが巡ってきたと感じました。

そこで、コーヒショップとして地元のお店と連携し街の活性化を実現する仕組みを考え、ビジネスコンテストに参加。
提携した他の店の商品をショップに置くなど、真新しいビジネスモデルではなかったものの、熱意や、私自身の就職のため都会へ行ったものの地元のために何かしたいと帰ってきた経歴などを評価してもらい、賞をいただくことができました。

ビジネスモデルを練る中で、コーヒーショップを通じて自分は何がしたいのかを真剣に考えました。
地域の活性化ももちろんやりたいことではありましたが、その先には誰でも自分のやりたいことに挑戦できる、チャンスの平等性を生み出す仕組みづくりがしたいと思うようになりました。
自分自身、いろんな人に支えられ、挑戦を続けてこれたので、今度は自分が誰かの挑戦を後押ししたいと感じたんです。

チャンスの平等性を担保するために、必要なものは大きく3つ。
1つはお金、2つ目は教育、そして3つ目は挑戦を応援し、たとえ失敗したとしても帰ってこれる「ただいま」と言える場所ではないかと思ったんです。
お金や教育の問題を解決するには、時間がかかるし今の自分では難しいと考え、まずは帰ってこれる場所を地元日立市から作り始めようと思いました。
地元に戻り、1年間の準備をして自分のお店を立ち上げました。

3「ただいま」と言える場所をつくる

現在は「Tadaima Coffee(ただいまコーヒー)」で、オリジナルブレンドコーヒーの製造販売とコーヒー教室を通じてコーヒーのある暮らしを提案しています。
コンセプトは「ただいま」と言いたくなる場所。
僕のように地元を出た人も安心して帰ってこられる場所、人が集まり繋がる場所を大切に作り上げていきたいと思い、この名前をつけました。

コーヒショップを通して、人が集まりコミュニティが広がる仕掛けをつくろうとしています。
たとえば店舗の内装も、大きな丸いテーブルを囲って、知らない人同士でも会話しやすいようにしたり、本棚にお客さんのオススメの本を置いて紹介したり、コミュニケーションを生むデザインにしています。

単なる喫茶店ではなく、豆の販売とコーヒー教室に力を入れている理由は、ウチのコンセプトを家にも持ち帰ってもらって、家庭の中こそ「ただいま」と言いたくなる場所にして欲しいという気持ちがあります。

お店を開けながらも、スキルアップのための勉強は続けていて、日本中の焙煎士が競う大会に出場したり、コーヒーの国際資格取得のための試験を受けたりしています。

また、地域活性化に繋がる活動にも力を入れています。
茨城県の課題を解決する地元の若い世代を対象としたイノベーター型人財育成プログラム「Hitachifrogs」に実行委員・メンターとして関わったり、国が主導で行う県内の事業者を招いての有識者会議へ参加したりしています。
今後も、日立を想って活動する人や全国で活躍する仲間たちと協働して、様々なプロジェクトを展開したいですね。

今後はチャンスの平等性を生むため「ただいま」と言える場所を、より困難な状況にいる子どもたちにまで届けたいと考えています。
僕が今こうして活動できるのは、ありのままの僕を受け入れてくれる家族や友人が待つ場所があるからです。
一方で、生まれた時から施設をたらい回しにされたり、虐待されて育つと、自尊心が低くて、自分を抑えてしまうようになる子も多いんです。
そういう子どもに貢献して、彼らが「ただいま」と言える場所をつくりたいです。

そのためにも、今はしっかり地域に貢献し、地元の人たちに愛されるようになりたいです。
日立といえば「Tadaima Coffee」と思ってもらえるようになれば、それだけ自分たちのやりたいことの実現にも近づくと思うので。
地元の顔となるお店に育てていきたいですね。

※掲載している情報は、記事執筆時点(2020年3月)のものです

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